ごみ分別講習会
房総の村 中判全紙 房総半島の内陸部の集落である。なかなか起伏が面白い。しかし、これもまだ描けたという所まではいかない。
11月23日には久野連合自治会による、ごみ分別講習会があった。分別は以前から盛んに言われているのだが、一向に改善されないそうだ。改善されないどころか、以前より悪くなっているという事だ。私は久野の環境委員という事で、6か所で行われる講習会について歩いた。講習会をやっても効果は少ないと思うので、辛い一日だった。小田原での分別の状況は最近悪くなっている。そして、年何回か行われるごみの分別検査で、今年は久野地区は悪い方に成ってしまった。前回Dランクという事だ。今回がCランクである。小田原の平均より悪。こうした講習会は久野以外ではないという事だ。そして、毎年分別講習を行っている久野が、ごみの状態が悪くなっているというのでは、講習会の効果があがっていないと考えざるえない。分別をいくら勉強した所で、分別の改善は無いと思う。分別方法は分かっていて、面倒だから混ぜてしまうというのが実態だと思うからである。分別の努力がマナーの徹底だけでは無理だ。ごみ有料化以外方法はないというのが、以前からの私の結論である。
ごみを分別する根拠は2つある。ごみ処理コストの上昇と焼却灰の最終処分場の限界である。2つの理由から、ごみはリサイクルすべきという事は、大多数の人が理解していることだ。先日も書いた、循環型社会基本法に明記されている。法律で決まった行うべき事であるとしても、出来るかどうかというのは、別の事である。結果として分別が悪くなってきているのは、環境意識が低下してきているという事なのだろう。人間の気持ちに訴えて、それに答えてくれる人の数は、現状増えない。むしろ減少しているという事だ。環境意識が全体で言えば低下してきているのだろう。それが今の日本の社会の暮らしの実態と思うしかない。これを講習会で教育を進めればと考えるのは無理がある。とするとごみを減らすには、どうすればいいのか。これは小田原市のごみ処理検討委員会で、深く検討した事だ。報告書に細かく書いた事だ。公開もされているはずだ。残念ながらその報告書が取り上げられる様子もない。
加藤市長は市長になる前は、ごみ処理には関心のある方だった。長井市のレインボープランに興味があり、講演会をしたぐらいだ。所が、市長になってから日ごとに意識が混濁したらしい。なんで市長になったのかが不思議なくらい、ごみへの関心を失った。まあその事はあまり考えたくもない。今さらごみ講習会に出るとは思いもよらなかったが、この講習会でごみオタクの私ですら、分からなかったいくつかの事があった。ビニール袋のリサイクル法の仕分けである。レジ袋はリサイクルプラだがラップはもせないごみということのようだ。燃せるごみというものが、現状の小田原では一番多いい。週2日回収がある。所が燃せまいごみというのは、月1回である。本来なら、これは逆転して良いくらいの事だ。仕分けを徹底すれば、燃せるごみなどというものは全く無くなるはずだ。生ごみは堆肥化。汚れたちり紙くらいなら堆肥化できる。大半の紙類はリサイクル。ビニールやプラハ分別してリサイクル。
現在週2日燃せるごみの収集日がある。そして月1回燃せないごみの収集がある。しかし、本来であれば逆である。燃せるごみというものは完全な仕分けをすれば無くなる。収集の無い暮らしをすればすぐに分かる。生ごみは堆肥。紙ごみはリサイクル。残るは燃やせないゴミだけだ。これは月1回出せるのであれば、充分である。そして、後は特殊なごみを有料で持ち込む場所があればいい。しかし、努力してごみを減量する者が努力しただけ恩恵がある仕組みで無ければ、ごみを減らす事は出来ないだろう。ごみを減らす手間暇をかければその分、ごみ処理にお金が掛からなくなる。当たり前のことではないだろうか。1キロ50円位のごみ処理量を取るようにしなければ、ごみ処理の平等性は保てないはずだ。その為には、まず徹底したごみ処理会計の透明化である。こういうすべてを検討委員会で充分に検討したにもかかわらず、完全に無視されている。市議会議員で、ごみの有料化を本気で調べた人はいるのだろうか。小田原市行政の市民参加はどうなっているのか、全くがっかりである。