邦人の救出
紀伊半島 10号 インドの水彩紙
安倍総理の国会での答弁というか、説明によると、邦人の救出の際に自衛隊が出動できない現状を変えるために、集団自衛権という、憲法解釈の変更が必要ということのようだ。日本人の同胞意識というところに、感情的に訴えて説明しようとしている。しかし、憲法解釈を浪花節的にやっても仕方がない。明確に論理的に法律論として答弁してほしい。たぶん出来ないので、分りやすいつもりで、邦人救助や、石油輸送経路の機雷撤去などを持ち出すのだろう。しかし、ここでいう邦人というのは、誰を意味しているのだろう。安倍氏の頭の中にある邦人は、日本企業の社員である邦人ではないか。日本経済の先兵となって危険地域で働いている邦人のことではないか。アルジェリアであった、人質事件が具体的には頭に浮かぶ。旅行者はどうなのだろう。あるいは、紛争地報道の人達や、現地の方と結婚されている邦人は法律的な位置づけはどうなるのだろうか。
普通の旅行者や企業関係者は本来その地域が、戦争状態になる前に、旅客機でそれぞれの国に戻るのが、当然のことである。外務省からのそうした指示もあるし、渡航が制限されている所もある。その警告を無視して、あるいはその危険を承知の上で、危険地帯に残っている邦人というのは、一体どういう人だろう。大使館員とか、現地によんどころない事情で残っている技術者、国境なき医師団の関係者もいるかもしれない。あるいは紛争地域を取材している報道関係者、現地で暮らしている邦人もいるのかもしれない。安倍氏が説明に用いた邦人の母子の絵は、ここでは何を意味するかと言えば、現地の方と結婚された邦人ということなのだろうか。集団自衛権の説明とは思えない。ただでさえ分りにくい集団的自衛権の説明に、意味不明の母子を登場させなければならない理由は。感情に訴えることが、一番有効と考えただけではないか。もちろん安倍氏は文楽人形だ。
機雷の除去の説明も不思議だ。石油が来なければ経済危機の原因になるとの説明である。現代日本人は経済に弱いというところを、的確に突いているつもりなのだろう。これも全く集団的自衛権とは関係が無い話だ。ホルムズ海峡に機雷が置かれるということが意味しているものは、イランによる海峡封鎖である。原子爆弾を保有するというので、世界から経済封鎖されている。この対立から、ホルムズ海峡の封鎖を主張しているのだ。対岸のオマーンとの領海内の問題である。もしこの2国の領海に機雷が置かれたということになったとする。ここに自衛隊が集団的自衛権で機雷除去に向かうということは、イランと日本が戦闘状態に入るということになるのだろう。これが集団的自衛権の範囲との、安倍氏の説明である。イラク戦争の様な戦争に参加は、アメリカの要請があっても行かないと言いながら、その舌の根が乾かない内に、イランとの戦争には行くと言っているのだ。
日本企業に勤務する駐在員は世界中に散らばっている。それも単純ではない。日本から派遣される人もいれば、現地採用の人もいる。今の時代日本の大企業は、グローバル企業ということなのだろう。さらに、外国企業に勤務している、邦人という場合はどういうことになるのだろう。国籍が日本でない、日系人という場合は、邦人扱いとなるのだろうか。あれこれ考えてみると、日本人的感情に訴えての邦人救助という概念は、明確になることがない。日本人だけを特別視することは、経済社会ではもう無理なのではないだろうか。これが同盟国との絡みとなると、さらに複雑化する。しかも、自衛隊の出動対象の国側から見れば、日本軍が軍事進出してきたということになるのではないか。安倍氏はむしろ正直に、日本企業の救出と言った方が良いのではないか。集団的自衛権の解釈変更は、憲法改定への第一歩のはずだ。だからその意図は、自民党憲法草案にある。