田んぼの楽しさ
瀬戸内の橋 10号 牛窓のあたりによく描きに行った。海がまるで川のようだった。
田んぼを始めて面白くて止められなくなった。いくつも理由は考えられるのだが、草取りが面白いと思う位の変な話だから、やったことのない人には理解しにくいことにちがいない。田んぼを始めて一番変わったのが生き方である。田んぼが生きることにこんなに影響するとは思いもよらないことだった。田んぼを始めたのは25年前になる。丹沢の標高350メートルの山中の、杉林を開墾して田んぼを作った。すべてを自分の体力でやってみようと考えていたので、シャベルとつるはしで、絵を描く合間に気分転換にやっていた。その頃は絵を描くことに忙しかった。絵もいくらかは売れていた時代だ。何とか一年がかりで、30坪ぐらいの田んぼを作った。最初の頃は福岡式自然農法にあこがれて、直播でやっていた。3年目には30坪で60キロのお米がとれた。これで自分のご飯が確保できたと思ったら、眼がさめるように視界が開けた。
これで絵を描いて行けると思って安心立命を感じた。後はそこそこ養鶏をやれば暮らして行けると思えた。鶏は子供の頃からの得意分野だ。何とかなるだろうと考えたわけだ。自分で山に作った田んぼで、簡単にお米がとれたので、田んぼの技術を極めてやろうと考えることになる。田んぼに取り組み、専門に研究する学者も沢山いる。江戸時代からの色々の創意工夫があったようだ。産業としても研究が進んでいる。自然農法でも色々ある。ますます、自分流で稲作技術を極める事に興味が湧いた。自給の稲作の最も合理性のあるものを作り出そうと考えた。最初は直蒔きを試行錯誤した。しかし、麦と2毛作すべきだと考えるようになって、苗作りの必要性を考えるようになった。結論としては、自給の田んぼの合理性は、一人でやるより10家族くらいの自給を共同することだと分った。昔の村落が、稲作を中心に共同作業が回っていたのは、必然のことだ。一人でやるよりはるかに省力化できる。その後、一日1時間100坪の自給に至ることになる。
小田原あたりの昔からの考えでは、1軒の家には1反の田んぼがあるといい。田んぼでは、お米と麦を作り、畦で大豆を作る。米、麦、大豆とあれば、昔の大家族の自給が出来るということになる。これを何とかみんなで実現してみたいということで、あしがら農の会の自給の活動に繋がってゆく。昔の村落共同体というものが、それぞれの生き方まで限定してしまうものであったことを考えて、どこまでも自由な緩やかな共同を実現したいと考えてきた。その為には労働と対価という資本主義を捨てることだった。そのように考えられるようになったら草取りが楽しくなった。自分の為がみんなの為であり、みんなが自分の為にやってくれる。それなら自分が出来ることは田んぼの技術を高めて提供することだ。有機農業だからこそ、みんなでやる田んぼだからこそ、最高のお米を、地域で一番取らなければいけないと思うようになった。これが全く面白い。田んぼの草がどこに多く出てくるのか。分げつを多く取るにはどうすればいいのか。トロトロ層を厚くするのはどうすればいいのか。
農の会は共同研究ということだ。農の会の30か所はある田んぼはすべて研究圃場である。稲作ではごまかしがない。生命力だの、美味しいだの、様々な価値が言われるが、自給の田んぼでは自給できることが価値である。一軒に120キロのお米が配布出来る。1万円の費用。年間100時間以内の労働時間であること。この技術の完成をめざす。つまり、再現性のあるものにすることだ。これを自然相手にいろいろ挑戦できる。これが実に楽しい。絵を描いた訳だが、絵を描く基を作っているのが田んぼではないかと思うようになった。絵を描くということは、見るという力を磨くということになる。見えないものは描けない。見えるということも、目に映っているとは違うものだ。ランチュウの幼魚の頭の煙など、見える人にしか見えない。トロトロ層の何を見るかは、田んぼ力の力量になる。このあたりの奥行きの深さが、田んぼの面白さだ。