成長産業としての農業
冬の舟原 10号 上の畑から見た、舟原の冬景色である。さみしそうに閉じこもって見えた。
[成長産業としての農業]宮城大学特任教授大泉 一貫全国知事会のホームページに記載論文。現状を把握した論文だと思う。論旨は稲作に偏重してきたことが、日本の農業を衰退に向かわせた事実。成長産業としての農業は、(1)市場対応ができる地域(千葉、茨城、愛知)(愛知、静岡)、(2)新規投資に前向きで生産性を意識できる地域(宮崎、鹿児島)、(3)産業集積が高く他の産業との垣根が低く融合産業化が進んでいる地域に先進事例があるとしている。高付加価値を目指す「成熟先進国型農業」を今後の見通しに据えて考えている。繊細で高度な食習慣を持ち、衛生や食品の安全性に敏感な我が国のような国こそ世界に誇る付加価値の高い農産物や農産物市場の開発をリードすべき。3つの先端地域の成功事例に学ぶことが、農業を成長産業にすることになるとしている。よく整理されているし、基本的には賛成である。問題は、何故稲作農業に偏重してきたのか。そして、日本農業が稲作を止め、成熟先進型農業の成功事例に従った場合、日本全体としてどの程度の農業が残るかである。
一部の農業の成長産業の側面を探ることは重要であるが、産業として取り残越される部分があるという認識はひつようである。食糧の安全保障という考えがあるが、この場合稲作農業を一定規模で確保しなければならないということになる。食糧安保という考えを不要だとする、主張もあるが、大泉氏の場合この点には触れていないのでわからない。国家というものの成り立ちを考えてみたとき、食糧生産の可能な国家であれば、安定して食糧を生産できる体制を確保しておくということは、健全な自立した国家を考える上では、必要条件ではないかと考えている。特に、世界の食糧生産が将来的には不均衡が強くなると考えられる。途上国の変化が顕著な世界情勢である。今まで維持してきた、稲作農業をここで終わりにすることは、賢明な国家戦略とは思えない。具体的に考えたときには、3つの成功事例に当てはまらない地域の多くが、稲作を地域の産業として行っている場合が多いいはずである。稲作を止めれば地域全体が消滅する可能性すらある。成長産業として農業を考えると、稲作を外さなければならないという結論になる。
加えて、4つ目の農業の成立の可能性として、自給農業者が行う農業の地域を考える必要がある。ロシアの経済危機に置いて効果的に機能したという、自給農業での農業生産である。こうした、自給農業が農業の3分の1を占めるようになるように、政策的に誘導する。これも一つの成長産業ととらえられないだろうか。様々な形で農業の既得権益との衝突が考えられる。この論文とは別のことなので、ここでは考えを深く展開はしないが、農業の成長産業を広くとらえることが、農地の保全になることは確かだ。視野の広さが必要だと思う。1番の市場対応とは何か。ということがあるが。ここでは海外市場ということはあまり重視されていないようだ。大都市を市場とする考えだけではないはずである。とすれば、都市近郊の土地価格の高い地域での農業が産業として有利と考えることは、一概には言えないのではないか。2の事例でいう、鹿児島、宮崎、の成功事例は、むしろ東北や北海道の農業と比較検討する必要がある。現在、こうした地域の畜産業がTPPを妥結した時にどうなるのかである。
3番目の農業は工場農業ということではないだろうか。政府はロボット農業と名づけている。確かにこの方法は、産業として期待されるところだろう。熟達農業者と、大きな資本が連携することで、新しい産業として展開が出来る農業分野はある。しかし、そうした分野は農業全体からみれば、数パーセントにすぎない。その意味ではロボット農業に過度に期待することはできない。やはり、稲作農業のことを除外して考えても、日本の農業全体の成長を考えたことにはならない。この論文が良く整理されていることから考えても、稲作を枠から外さない限り、農業が成長産業たりえないということを示しているのかもしれない。ということは、成長という概念を外さない限り、農業の存在意義はないということになりやしないか。何の為の農業か。お金の為ではなく。人間の為の農業のはずだ。