TPPと養豚業

   

戸隠の家 10号 畑に埋もれたような1軒屋がある。畑の中を踏み分けてゆかなければ家に到達できないように見える。不思議な家なのだが、実にあたりに溶け込んでいて人間の幸せの様なものを感じる。

TPPで最近話題になるのは、豚肉の関税ばかりである。肝心なことはお米のことであって、豚肉のことではない。豚肉の関税がなくなれば、TPPの問題が解決するかのように言われるのは、政府の戦略におもえてならない。アメリカ議会では、関税を残すような日本は排除しろという意見がいわれていた。早くTPP交渉を抜けることだ。ブタの関税問題に特化するのは、マスコミの怠慢か意図的報道である。豚肉はアメリカと共通の土俵に立てる産業である。これを関税で保護していること自体が日本の間違いである。関税表を見てみれば、農業全般の関税のことは分りやすい。卵は関税など無くて当然である。養豚も同じではないか。では乳製品や、牛肉に関税はいらないかと言えば、そうではない。そもそも、同じ土俵のものではない。ブタの場合保護しなければ競争できないような基本的な条件がない。輸入飼料の問題があるとしても、それは産業として仕方のないことだ。各国が飼料の生産の為の努力をしてゆけばいいことだ。

もともと日本の養豚は、食品残渣で行われてきた。日本全体で出る食品残渣をごみとして廃棄処分しないで、養豚で使うシステムを考えるべきだ。これはTPPの関税問題とは別の枠組みで、構築できるものだ。そうすればごみ処理費用が、養豚業のプラスに成り、国際競争力が生まれる。以前は全国各地の都市近郊に養豚業は存在した。しかし、現在は輸入飼料に頼った産業に成っている。輸入飼料だけを使うような産業は、そもそも関税を課していることが不自然なのだ。国内出回らない産業構造を維持しながら、輸入商兵器を設けるということは、まさに消費者が損をしていることになる。何故牛は違うと考えるかである。牛は本来牧草を食べるものだ。今でも放牧乳牛の導入ということが試みられている。耕作放棄地や、放棄山林での放牧など、日本の自然環境を循環させる手段として、可能性のある畜産分野である。確かにここでも輸入飼料の問題があるのだが、政府が飼料米の導入など、育成に力を入れなければならない分野だと考えている。

TPPの最大の問題は、稲作のことだ。この稲作が交渉の中でどうなっているのかは、一向に伝わってこない。政府からは飼料米は提案されているが、それだけで稲作のことが解決できるとは思えない。同時に農協改革というものが進んでいる。全中廃止ということがいわれたが、その後、なし崩し的にあいまいになったとも言われる。全中は、農業独占的大企業である。生産から販売まで、一つの流れで行える組織である。つまり漁業組合が、町の魚屋さんをやっている姿である。規模をまるで違うが、農の会の宅配事業と同じである。上手く機能すれば、農家にとって最も合理性がある姿なのだ。ところがこれが強大化して、圧力団体化して、政治的になり、肝心の農業の合理的な改革を怠ったのである。農業保護が経営感覚のない農家を生み、全中が金融機関になり、財産管理の不動産屋になってしまった。農業委員会の選挙の廃止など、さしたる意味がないが何故今の段階でやるのだろうか。

農業全体として、圧力団体として力のある所が、優遇されるという姿を払しょくしなければ、国民全体の理解は得られない。つまり、稲作は国民全体にとって残さなければならないものだ。その為には稲作の日本の国土全体の構想の中での、方針を示す必要がある。その為には不肉の様な合理性のない保護交渉をいつまでも見せていることは良くない。養豚業など農家ではなく畜産企業の問題だ。まさに政府の目指す企業農業であり、国際競争力の問題が問われるのは当然のことだ。どの程度の農地が残り、どのくらいの農家が残ることが、日本が健全な国家として存在するためには必要だということを確認すべきなのだ。政府の出した成長戦略によると、ロボット農業らしいが、成長戦略の表面しか読んでいないが、冗談としか思えずまだ詳細を読んでいない。

 - 自然養鶏