古謝美佐子さんの歌を沖縄に聞きに行った。
根府川海岸 10号 根府川の海岸線は古くから農業に開けた。根府川海岸の軽便鉄道は芥川龍之介の小説「トロッコ」と、志賀直哉の小説「真鶴」の舞台である。
古謝美佐子と仲間たち ~沖縄の心を歌い紡ぐ~を聞きに行った。身体全体が沖縄の歌に堪能した。魂を揺さぶられた。沖縄から戻り、まるで生まれ変わったような気分だ。歌の力というものを、まざまざと体験した。沖縄の歌がすごいということもあるのだが、古謝さんの人間力の大きさがすごい。実に人間存在として魅力的で、人間はここまで行ける、すごい生き物なのかと感動した。歌も人間が歌っている。当たり前のことだが、改めて人間が、歌によって人から、人へと伝えてきたものは、なんとも魅力的で尊いものだったのかと思う。今回のコンサートは、初代ネーネーズの再結成であるうないぐみとしても歌った。一度聞いてみたいと願っていたものが、熟成しての登場である。「うないぐみ」は姉妹ということらしい。名前が変わったが、あの力感あふれたハーモニーは少しも変わっていなかった。変わらないどころか、さらにすごく、すごくなっている。古謝さんは60歳で還暦だそうだ。60歳の人間にしか歌えない歌を聞くことが出来た。
歌の持つ本来の力は、人間の魂が発する声なのではないだろうか。今回のコンサートでは、特別に生の声で歌いたいということで、沖縄のたぶん八重山の古民謡と思われる歌を、自分でサンシンを弾きながら歌った。宜野湾のコンベンションホールというところは、3階席まである、大きな会場である。1740人という会場。そして満席の観客。ここで生で歌う、歌唱の力量の凄さ。静かに歌った。その声は、会場を満たし、空の果てに消えゆく様だった。この古民謡が始まると、会場の空気が一変した。荘厳な悲しみが、沖縄の悲しみなのか、人間の悲しみなのか、魂が凍りつくようで、ただ一つのしわぶきもない。静寂に包まれた。波静かな、月光に明るい浜辺になった。言葉は分らないが、沖縄のどこかにある島の美しさと、豊かさと、悲しさと、そこに生きてきた人間の発する歌がある。生の人間存在を歌という形で、示めされた。歌が私の人間の底に届く。稀有な体験をさせてもらった。
沖縄で聞いてよかった。沖縄の人たちの中で、作り上げられる明るい空気は、この悲しみに満ちた歌を、限りない美しいものへと変えてゆく。この歌がどういう歌だったのかは、まったく分らなかったが、1995年ネーネーズを辞める時に、古謝さんは古い沖縄の歌を勉強したい。と言われている。たぶん還暦を迎えた今のその解答を出そうとしたのではないか、と思った。沖縄の八重山の古い民謡では、2重3重の差別の中で、逆説的な美しい歌を創造する。美しいと歌えば歌うほど、移民され、棄民された悲しみが溢れる。戻りたい心を背景に秘めて歌いながら、暮らしている土地の豊かさを、言葉としては歌う。全く言葉の意味は分らないのだが、魂が発するものは、私のような音楽に無知な鈍感な人間にも切々と響き、届いた。伝統的なものの上に、今生きている命がほとばしる。
沖縄の平和の願いのことも、何度も言われていた。悲惨な戦争という体験を生かして、平和の島沖縄を願う。そういう思いを込めた歌を歌う。今日の日も沖縄返還40年の様々な活動があることを言われた。そういう思いを込めて歌を歌うと。さらに、70歳になったら70歳の歌を歌うと言われていた。古謝さんのCDには、9歳の時の歌が入っている。9歳の時の歌で十分なのだ。そして、60の今の歌も60としての十分である。全く年々その通りだ。表現者に引退というものはない。生涯その時々に出来ることをする。それが生きるそのままであり、生きるということをしっかりと踏みしめるということに違いない。出来れば沖縄で、又古謝さんの歌を聞きたいものだ。沖縄という文化を産み出している根っこが、、未来の社会の可能性を感じさせるからだ。沖縄がいつまでも沖縄であってほしい。