腸内細菌
志賀高原木戸池 10号 田の原湿原という標高1000メートルを超える場所から、見上げるように描いている。前山の紅葉と後ろの山の影が何とも面白かった。
藤田紘一郎 東京医科歯科大学名誉教授。免疫学者。
私は今の若い人よりも、腸年齢は若いという自信があります。なぜなら子供の頃に、野山でカエルやヘビを食べて、川底にはいつくばってウナギやナマズを捕まえ、菌をたくさん腸に入れたからです。O-157に感染して重症化する人、軽い下痢で済む人の違いは、腸内細菌。普段から腸に雑多な菌を入れていれば、腸内細菌が鍛えられて大事に至らない。インフルエンザやノロウイルスが猛威を振るい、花粉症やアトピーが増えた原因は、行き過ぎた清潔志向が免疫を低下させているためです。
泥まみれになって遊んだ子供は丈夫で、風邪をひきにくいものです。大人も、衛生的にはある程度おおらかなほうがいい。私は抗菌・除菌グッズは使わず、手を洗うときにも薬用せっけんは使いません。「落ちたものも食べる」くらいが、本当は腸にとってはいいのです。
藤田先生の言葉は、とても大切な考え方だと思う。山の中で育った子供時代は、藤田先生と似ていて良かったと思う。「汚いはきれいで、きれいは汚い。」である。鶏の育て方で、このことは何度も経験して、身にしみて知っている。ヒヨコを育てるときに、近代養鶏では隔離的な育て方をする。地面と接すると病気をするから、地面から放して、バタリー鶏舎で飼う。餌は抗生物質入りである。ワクチン注射を何度も行う。鶏舎はウインドレスで外界との接触をできる限り避ける。その結果病気はせず成長する。しかし、長生きは目的にもされていない。私の所の養鶏では堆肥の上で雛を育てる。外に出して遊ばせる。死んでしまう雛もいる。薬は一切使わない。しかし、生き残った鶏はめったに病気をしない鶏に成る。ニューカッスル病の自然免疫すら、持っている鶏に成る。それは、育つ過程で、厳しい淘汰の試練を受けているからである。ヒヨコがわずかに病気をして、それを乗り越えることが重要なことなのだ。
人間が困るのは、淘汰が出来ないことである。人類の素晴らしさでもあるのだが、だんだん人類が弱くなってゆく。私は虚弱体質であったが、生き延びてきた。こうした結果を繰り返しながら、人類はかなり弱い体質に変わってきている。だから、汚い環境に放り込まれたら、生き残れない人種もすでに多数居るとしなければならない。最近の、集団食中毒を見ると、何やら日本も危うい状況にあるような気がしてくる。こうした方向に社会環境を推進するのも、経済競争ではないだろうか。医薬品業界は、自然免疫などと言っていれば商売にならない。消毒、殺菌、の方がいい。毎年変わるインフルエンザウイルスを追いかけて、効果があろうが無かろうが、より多くの人にインフルエンザワクチンを打たそうとする。国も、効果があるのかないのか不確かな、薬の備蓄に何10億円もかけて、使わずに期限切れで廃棄である。それが経済効果ということになっている。その莫大な利権のために、国連のWHOまで収賄罪が及んでいる。
テレビでは、除菌剤のスプレーまで宣伝されている。黒い煙のような、悪い菌の蔓延した部屋の映像がデモンストレーションとして流されて、恐怖を煽る。畳や布団にはダニがうじゃうじゃいて、いたたまれないような状況だと説明される。すべては、製品を販売したいからである。除菌剤など使わないでも人間は健康に生きられる。むしろ、使わない方が健康体が出来あがる。私はそうしてきたし、それを証明するためにも、100歳まで生きるつもりだ。子供のころから常に下痢をして、おなかが痛かった。虚弱体質の代表のような小学生時代であった。しかし、中学に入って皆勤賞になった。今は無事64歳を元気に暮らしている。ともかくテレビの宣伝は金もうけの為に作られているものだ。除菌、殺菌キャンペーンに洗脳されてはならない。
と言っても、汚ないほどいいというものでもないだろう。ほどほどの加減である。昔は、病気で沢山の子供が死んだ。江戸時代の暮らしを現代的に、生かすことではないだろうか。泥まみれにになって遊ぶことも大切なことで、土を不衛生ないものとして遠ざけるような発想は、自然免疫の能力を下げてしまう。発酵食品も大切である。人間の体は、自分の細胞数より、体内に居る微生物数の方が多いということである。そうした微生物が順調に育つように、発酵食品を沢山食べることだ。自然の食べものを取りこむことだ。免疫力を十分に付けながら、自然にまみれて暮らす。日本人は清潔好きな民族だと思う。その清潔が、除菌、殺菌に及んでいる。清潔は菌がないということではない。人間は菌だらけで、菌とともに暮らしている。菌を排除すればすぐ死んでしまう。要するにバランスが重要なのだろう。