世界情勢と集団的自衛権
西伊豆海岸 10号 西海岸と、東海岸では空気が違う。朝日側と、夕日側という光の加減が違う。西海岸に行くと、遠くまで来たという違った空気を感じる。
最近の安倍政権の主張は、中国の覇権主義や、世界で起きている軍事衝突を根拠に、憲法の解釈を変える必要があるという主張だ。つまり、憲法が近隣諸国の覇権主義や、反日的政権の存在で、そぐわなくなってきた。しかし、憲法を改定するのには無理がある。そこで解釈で集団的自衛権を海外での武力行使可能ということに変えようということになる。確かに、中国の武力的覇権主義は、日増しにリスクを増している。その一方で、アメリカの軍事的力は後退している。加えて、北朝鮮の様な、何を起こすか分らない原爆保有国が近隣に登場した。ウクライナで起きている紛争のように、誰が悪で、どこに正義があるのか極めてわかりにくい、世界情勢である。南沙諸島の領有権問題に対する、ベトナムの反中国デモは暴力的にエスカレートして、ベトナム進出企業の中国人が暴行を受けている。日本がそんな国になっていいのかということだ。日本が何をすればいいのかである。軍事力を強化して行くという方向で世界平和に貢献でき、日本の安全は守れることはない。
軍事的対立の背景に、経済競争がある。政治思想や、宗教の違い、民族の問題、こういう紛争の背景に経済的支配の問題がある。グローバル資本主義の一つの極相ではないか。グローバル資本主義は、弱者を必要としている。食い物に出来る弱者を食いつぶしながら、世界の格差を広げてきた。しかし、当然弱者は労働賃金の安さを武器に、この競争に割り込み勝利しつつある。世界資本は利用できる安い労働を求めて、世界を巡りあるく。この競争は、玉突きのように、日本は韓国に、韓国は中国に、中国はアフリカに、市場と労働力を求め、もう網の目というか、がんじがらめな競争が起きている。ここに国家資本主義と、グローバル企業の軋轢が加わる。日本の利益なのか、企業の利益なのか、例えば原発輸出など、その本質は複雑である。法人税の安い国に移動して行く世界企業。すでに国家の利害を越えているのかもしれない。
安倍政権の経済政策は、日本のグローバル企業に力を集中させることで、世界競争を乗り切ろうとしている方針である。一定の成功を見た韓国方式である。最近の日本の報道は、韓国のアラさがしに躍起になっている。日本人の鬱憤晴らしとしか見えない。本来であれば、他人事ではないのだ。安倍政権の目指していることは、まさに韓国のようになる。独占の電力会社は、経済優先で安全を軽視する。それで原発事故を招いた訳だ。JR北海道の安全軽視など、人命より会社の経営を優先せざる得ないという、利益第一主義の招いた腐敗だ。TPPの進め方を見ると、日本の農業をダメにしかねない犠牲を払っている。農業の経済規模より、大企業の利益を優先した方が、日本の経済に有利ということだろう。こうしてすべてを世界が経済競争に賭けている。このことが軍事衝突の根本原因であろう。資本主義的な方向の限界が見えてきているのではないだろうか。日本がこの競争に伍して行くということが、軍事的な力を必要とする日本ということではないだろうか。
まず、日本は日本の国土で、豊かな暮らしを構築することではないだろうか。幸いにも、それが出来る国土が日本にはある。食料でいえば、一日1時間100坪の土地で人間は生きていける。この根本に立ち返れば、怖いものはない。外国と張り合わなくとも、やって行ける。他所の国を食い物にしなくとも、豊かに暮らせる日本である。他人を利用し、食い物にして、自分の利益を出してゆくという限界にきている。能力のあるものが、能力の無いものを利用するのは、権利ではない。石油資源は無くとも、自然エネルギーは豊かな国土である。これから日本の経済は困難を極めると考えて置いた方がいい。その時、怒りの鉾先を近隣諸国に向けかねない。その手段があるということは危険だ。中国の覇権主義など、暖簾に腕押しで軽くかわしておけばいい。安倍政権は中国や韓国と軋轢を高めて、国民の世論を操作しているのだ。腹を立てて、武力で対抗するなど何の益もない。