辞表の預かり

   

月夜 2号 夜の海は何度も描く。まだ描けたということもないのだが、まだまだ描いてみたい。

NHKの会長の籾井氏は「辞表の預かりは、一般社会では良くあることだ。」との認識のようだ。果たして本当のことだろうか。私は幸いにもかつてそんなことに遭遇したことはない。聞いたこともなかった。もし辞表の提出を強制されたとしたら、その場で辞めるか。提訴するだろう。しかし、NHKの経営委員の人は、12人全員が黙って従ったのだから、そういうものだと思ったのだろう。つまり、NHKの経営委員会というのは、相当に自立心のない組織だということが分る。こういうときに、抗議が出来ない人たちというのでは、肝心な時に役には立たない人たちだということである。それにしても、一般社会が籾井氏の言うように、こんなことを認めるようになっているとしたら、もう日本の組織はどれもこれもダメだということではないだろうか。そうは思いたくない、あくまで籾井氏が異常感覚の人だと考えたい。が、これはたぶん官邸サイドからの差し金だと思う。就任会見にふさわしくない、持論の展開と同様のことだ。

安倍氏というより、安倍氏を操っている人たちのやり方は段々に見えてきた。あるパターンがある。NHKの報道内容が問題だという認識をもったのだろう。どうやってその報道内容に影響を与えるかである。経営委員の人選が第一であろう。そして、会長の人事を行う。経営陣がどのような考えを持っているかを、明確に打ち出してゆく。それが就任の挨拶の余計な発言である。直接的な報道への介入をするのではなく、法律の外で、じんわりと圧力をかける。これは憲法の改定問題でも、同様の手口で進めようとしている。法制局の人事に介入し、小松という政府と同じ考えの人にした。遠回りに遠回りに周辺への圧力で事を進めようとしてきた。武器輸出や集団的自衛権についての、解釈の変更も問題ないと小松氏は発言している。法制局の長官次第で、憲法に対する重要な考え方が、変わるというのもおかしい。おかしいがそのために、人事を変えて準備した訳だ。様々な審議会がこういうやり方で、進められれば安倍氏の周辺の思い通りに事が進むようになった。

次は、原子力規制委員会の人事に手を付けるだろう。原子力推進の人に変えることは可能だ。今回NHKの会長を辞めさせることが出来なければ、この手法は一般化することに成る。原子力員会でも委員長に辞表を預けているのだろうか。少なくとも、籾井氏の社長だったユニシスでは、管理職には辞表を出させていたということだろう。これはいわゆるブラック企業ということに成る。こんなことは一般企業で行えば、労働協約違反で、告訴される。何故、こういうことをしたのかと言えば、会長の独裁でやるという事を、経営委員に言い渡したということだろう。民主党時代に選ばれた委員に対し、自分に逆らえば辞めてもらうということを、明確にしておけという指示だろう。そのせいか、籾井氏の就任会見の持論展開に対して、異論を述べた委員がいなかったという結果に成っている。すべては、筋書き通りに進んでいるということだ。これでは国営放送であって、公共放送ではない。

NHKの放送内容は、今のところ特におかしな感じはないが。今後どう変わってゆくのか注視しなければならない。放送内容の変化など、注意していれば分ることである。報道機関には、批判精神がなければならない。それは公共放送でも同じことだ。権力に対する、チェック機能が報道の生命である。権力が期待することを、垂れ流すのでは報道ではない。原発事故報道では全く失望した。日本人が海外の報道から、放射能の拡散予測を知ったという事態であった。しかも、情報は報道機関にも把握されていたのだ。パニックを避けるためというのが、いい訳のようだ。それではいざという時には報道は役に立たないということに成る。憲法改定もいざという時の一つだ。果たして、報道はこのことに向かい合い、問題点を浮き上がらせることはできるのだろうか。それが憲法を守る公共放送の役割のはずだ。

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