TPPの行方
白い家 一号 これもまた小さな絵である。顔料が漉きこまれた紙で描いている。ピンボケの写真でまずい。
TPP交渉は暗礁に乗り上げているように報道されている。政府としては日本国内の世論を見定めているというところだろう。アベノミクスや、賃上げお願いの政府のやり方は一貫している。大企業が良くなれば、日本が良くなるという考え方である。これも一つの考えであって、間違いということではない。今回のTPP経済協定ではっきりしているのは、大企業は利益をこうむり、日本の稲作は壊滅するということである。それでもいいという考えも、これまた一つの考えである。このあたりを正直に正面から議論することが、必要なはずだ。TPPは国の枠を外して経済競争を促進しようということである。経済競争をすることが、それぞれの国にとっても利益に成るという考え方である。確かに、進歩なく停滞のままで良いとは思わない。稲作でも江戸時代は1反5俵ぐらいのものであった。それが今は10俵である。機械力を駆使し、化学肥料や除草剤、農薬が登場して倍増した。
しかし、工業製品の競争による生産性の向上と較べれば、お米の生産性の改善は緩やかなものだ。農業分野に競争の原理を導入したとして、日本のお米の生産性の向上はそれほどはないはずだ。現在のある意味片手間稲作には片手間稲作の合理性があって、農家が止めないのは、勤めをしていても楽に暮らしに織り込めるからだ。勤めに出は給与や、アパート家賃の収入を、稲作機械の購入に充てても、田んぼを放棄しなかったのは、農家の実態に微妙に対応したものだったのだ。だから、減反政策などという、農業の未来を放棄したような政策が、推進されたのだ。そして、先延ばしをしてきた、矛盾の塊が、いよいよ世界経済に直面させられたのだろう。日本の伝統文化に強く結びついた、稲作農業が問われている。この点では、安倍氏の主張する、瑞穂の国という日本主義画、大きな自己矛盾をきたしている。
経済の合理性などとは違う次元で、日本教の信仰のように残されてきた山村での稲作を、世界のプランテーション農業と同列に考えようとしている。これはある意味イスラム世界と、キリスト教世界のぶつかりと似ている。日本という国の歴史と習俗を、大切にできるかである。安倍氏が靖国にこだわるとするなら、天皇家や伊勢神宮の背景にある、稲作という文化的支柱をどう考えているのだろう。日本主義者であるなら、稲作はなくなってもかまわないとは、思えないはずだ。靖国の先にある日本とは何かを、よくよく考えてみれば、稲作を心のよりどころとして、日本教の信仰の柱として日本全体に暮らしを広げていったのが、日本人である。日本が経済的に豊かな国に成るということは、誰も反対はしないだろうが、日本の山村の棚田は、景観上のものだけではなかった。ほとんど作ることが出来なかった東北地方にまで、経済性などとは関係なく、稲作をしようとした日本人の魂のようなものをどう考えるかである。
大半の日本人はそういうことを忘れかけている。忘れても良いという意見もあるだろう。今行わなくてはならないのは、TPP交渉の機会に日本がどこに向かうべきなのかの議論である。経済競争は強者の論理である。アメリカが有利になる。確かに乗り遅れれば、不利益を被るかもしれないが、結局はアメリカが勝利する道である。江戸時代の藩を考えればいい。今の県単位でも良い。国内は自由競争であるが、豊かな地域や得をする地域というものがある。それはおおむね企業立地であり、大都市である。世界競争の中で生きてゆかざる得ないとしても、上手に稲作を残す工夫が必要である。中山間地の地域維持の為の稲作。都市近郊の自給的稲作。そして競争的な大規模稲作。日本国土を守ること。食料の確保の為。一定の稲作を残すことは、日本の国柄を考える上で、重要なことになるはずである。