エネルギー基本計画
丘の眺め 4号 山北の南斜面である。菜の花が美しく咲く。こういう傾向の絵はずいぶんたくさんあるのだが、なかなか結論が出にくい。何が良くて、何が悪いのだ家も分らなくなり、何でもいいような、すべてが悪いような感じになる。
自民党政権がエネルギー基本計画を変えようとしている。民主党政権が「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするためにあらゆる政策資源を投入する」とした方針の撤回が行われようとしている。12月上旬にまとめた基本計画の素案では「燃料投入量に対するエネルギー出力が圧倒的に大きく、数年にわたって国内保有燃料だけで生産が維持できる準国産エネルギー源として、優れた安定供給性と効率性を有しており、運転コストが低廉で変動も少なく、運転時には温室効果ガスの排出もないことから、安全性の確保を大前提に引き続き活用していく、エネルギー需給構造の安定性を支える基盤となる重要なベース電源である」明らかに、自民党政権は原発をベースにエネルギー計画を立てているのだ。その理由は経済にあると考えざる得ない。現在存在する原発は巨大な資金をつぎ込んで作ったものだ。それを使わないで廃棄するのでは、余りにもったいないということだろう。
エネルギー基本計画の前に、政府が行うべきことは、原発による発電コストを、分りやすく国民に示すことだろう。そして国民の判断が出来るようにすべきだ。安倍政権によると、原発は安い電力ということだ。しかし、どういう計算で安いということになっているのかが、示されたことはない。少なくとも、核廃棄物や廃棄原子力発電装置の処理費が含まれていないのではないか。そういうことでは、安いという根拠を信じるわけにはいかないだろう。実は、国民の過半数は原発コストは、すべてを含めれば高いのではないかと、強く疑っている訳だ。原子炉内部に、廃棄物を積み上げて置くような、場当たり的な見通しのない方法なら、経費は確かに安いのかもしれない。しかし、将来の世代に負の遺産を残すだけだと、心配しているというのが本音ではないだろうか。それでも、経済は競争であり、大切なことだ。そう原則論ばかり言ってもいられない。こうした現実論から、不安がありながらも、原発も仕方がないかという人もいるのだろう。
同時に「原発の本当のところはどうなの。」これが国民の最大公約数的疑問ではないか。安全問題は別にしても、原発コストには疑問がある人が多数と思われる。だから都知事選挙でも、脱原発は主要候補者はいずれも主張するところになっている。自民党が推す候補者まで、脱原発と考えてもらっていいと発言した。選挙になると、急にみんなが脱原発になるのは、それを選挙民の期待する本音とみているからだろう。しかし、経済の為には我慢も、危ない橋も渡る必要がある。安全策ばかりでは、今現在の競争に負ける。競争に負ければ、先に行って安全などと言っても始まらないだろうという気分は確かにある。核廃棄物を今はため込むばかりだが、この処理費さえ先延ばしにしておけば、競争に勝てる。原発を自由に使う国との競争に負けるとい不安。原発コストを分りやすく示せないということは、後始末や安全はコストに入れていないということで、すべては次世代の負担だ。
日本列島は原発には都合の悪い火山地域の島だ。大きなプレートのぶつかり合う地震地帯に存在しているのだ。そのために、核廃棄物の地下深くの地層処理と言っても何万年も安定している地層が存在するのかどうかも危うい。日本は日本の条件を生かしてやってゆくしかない。むしろこの悪条件を逆手にとって、自然エネルギー大国になることだ。それ以外に日本が生き抜く道はない。確かに当面は原発再稼働が得だ。しかし、それでもう一度事故が起きれば、もう日本は崩壊の危機だ。気持ちの上で終わりだ。日本はそうした大崩壊の墜落の不安を抱えたままではなく、どこかへ不時着する地点を探すしかないのだ。幸いなことに、人口も減り始めた。5000万人位まで縮小すれば、エネルギー自給の国として見事にやっていけるはずだ。原子力依存の基本計画は変更してほしい。