よみがえる小田原城展と木造再建
よみがえる小田原城という展示会が、小田原城本丸内で開かれていた。ジュンクワさんが準備をされたということなので、見に行ってみた。小田原城の中に入るのは2度目だと思うのだが、確かに前に来たところだということは、分るのだが、それがいつだったのかがどうしても思い出せなかった。たぶん忘れたい記憶だったのだと思う。お城というものは、私には感覚的に受け入れられないものがある。権威的な場所の空気が嫌いなのだ。武具が並んでいる。刀などもある。国宝の刀を見たこともあるが、鳥肌が立ってしまう。武器というものに対して生理的に合わないのだろう。今も槍の穂先や、刀の白さが目に浮かぶ。北条氏や大久保家の事が色々書かれている展示も、さらにみたくないものだ。いまさら武家の支配の姿など、顕彰してどうなる。封建時代を反面教師にしようとでもいうのならまだわかるが。いつの間にか、お城などには登れなかった百姓の根性になっていた。
小田原には木造の本丸を再建する活動があるらしいが、趣旨が分らない。木造建築はいいのだけれど、何もお城の必要はない。地の者の権威的匂いを、他の者としては感じる。いまさら権威の象徴を再建するなど、昔は良かったという話にならないか。そういう封建社会を乗り越えて、今の社会があるのだから、お城が無くなったことを幸いとして受け入れるべきだ。考え過ぎかもしれないとは思うが、上からの支配体制に視線が行く傾向が気になる。田んぼおよびそれにまつわる、農業遺構を残すことの方が、未来志向で意義がある。田んぼには、何故瑞穂の国が生まれ、何故、それが日本人の信仰や文化にまで及んだのか。将来の日本社会がどこに向かうのかの大切な要素を示している。そういうものを教育的に残してゆくことこそ、庶民の視点であるはずだ。田んぼが当たり前過ぎて、歴史的なものという意識が薄いようだが、無くなるのは時間の問題である。お城を見に行ってこんなことを考えているのだから、変と言えば変。
雨の日の9時から見に行ったから、誰も来ていないと思ったら、中国人の団体客が例の馬鹿騒ぎで見ていた。たぶん箱根観光のルートに入っているのだろう。確かに観光というものが、一つの産業で小田原がそういうものに力を入れるというのはわからないではない。観光というものは、あくまで虚業のようなものだ。利用するのはいいが、依存するものではない。観光という意味では、小田原城も熱海城も同じことだ。木造で再建する小田原城の目的は何か。ホームページによると1、街づくり 2、伝統文化 3、観光、ということのようだ。街づくりとは何か。衰退する商店街を再生することが一般に言われている街づくりである。これについては興味がない。これからの街とは何か。この点人間の暮らしとのかかわりにつて、きちっと把握されずに、昔は良かったというのではつまらない。小田原伝統文化というものがあり、それを継承、再興する。この時に小田原を取り囲む周辺部への意識が抜け落ちる。久野はお城から全く除外されている。
地域というものがどのように形成され、街の単位をどのように考えるべきか。農の会が酒匂川フォーラムから発生した時に良く話し合ったのだが、酒匂川流域を一つの単位として考えるべきだ。水ということで考えれば、上流部の小山町の暮らしは、切っても切れないものである。経済や歴史も深いつながりがある。文化を考える上では、庶民の暮らしの観点が抜け落ちてはならない。その点お城がその拠点に成るという感覚は、理解しがたい。観光ということでは、やればやるだけの効果がある。金沢城でクマが出たというニュースをやっていた。なにしろ私はその中で暮らしていたのだ。クマでなくても誰にも分らなかったほど、大きな森があった。お城の中にある学校という魅力が選択の一つだった。郊外に引き籠った今の金沢大学は、魅力がない。金沢は観光では成功しているが、暮らしのある町の感じがかなり薄れた。