農業における格差のこと
格差社会の深刻化は、着実に進んでいる。そしてこの傾向は当分はさらなる格差拡大になってゆくだろう。自民党政権の経済政策が、格差拡大拍車をかけているからである。目標は国際競争に勝つ社会である。金融緩和、財政支出の拡大、と打ちやすい1の矢2の矢は放たれたが、肝心の成長戦略の矢は飛んでいるようには見えない。新産業が登場するのではなく、旧来の輸出型大企業が、円安で利益を得ている。そして、利益を出しているのだから、賃金を上げろと政府が主張している。その一方で消費税など上げる。やっていることの先に、格差社会の深い谷間が覗いている。高度成長期の農村の経済は、出稼ぎ労働で支えられた。農閑期に3カ月なり、4カ月、都会に出て単身働くのだから、収入にはなっても大変なことだっただろう。私が1974年に三菱エレベーターの下請けで働いていた時も、秋田から2人の出稼ぎの人が来ていた。細かい仕事は嫌いだと言って、土方仕事を引き受けてくれていた。ずいぶん助けてもらった。私は個人的に助けてもらったが、当時の日本全体はこうした出稼ぎ労働で助けられていた。
農村の経済は、この頃からすでに空洞化していたのだ。農家の次男坊以下は、就職をして農村を離れて都会に出て行く。農家に嫁は来ない。減反政策が始まる。稲作日本一の人が田んぼを止めて、タクシーの運転手をしている姿が思い出される。大学の頃の友人は教員をやり、津幡の家では農家を続けた。彼の家も参加していた。河北潟の干拓事業はその頃も稲作の為に、埋め立てが続けられていた。彼は田んぼが広がることをとても期待していた。当然干拓が終わっても、田んぼをやることはできなかった。かれも定年退職しただろうから、農業に力を入れてやっているかもしれない。彼のことを思い出したのは、彼は児童文化会というサークルで演劇をやっていて、夏休みには地方公演のように、能登半島の先の方まで回っていた。どちらかと言えば、わらび座の学生版のようなサークルだった。農村の文化運動のようなものだ。全国の農村で演劇を上演する活動というものが、地域の上演グループを作り出し、毎年どこかの劇団に来てもらい上演を行う。ところが地方のこうした文化活動が危機的状態になっているらしい。あの頃より今の農村に余裕がない。
格差というものの根源は、能力格差であろう。農業をやる場合、上手にできる人と、できない人とが居る。当然、両者の生活には格差が出来る。江戸時代の農業ではそういうことはほとんど起きない。すべからく横並びで、共同責任のような状態である。この集落共同体が江戸時代の重荷である。しかし、小田原では二宮尊徳が居る。小百姓の子供が、武家の政治にまで関与する。このことを考えると、江戸時代の身分制度の本当の所がどこにあったのだろうと思う。庄屋とか地主はいる訳だが、何とかその地域が良くなるためであれば、と同時に悪いままでいるためにも、全体責任のような社会である。人と違うということは、極力避ける。そういう社会の枠すら抜けてゆく、個人の能力というものがある。尊徳は経済の人である。その能力を自分個人に使わず、社会再生に生かそうとした。江戸時代の勤勉、倹約、奉仕の儒教的思想。理財に長けた尊徳が、向かった先の社会改革の限界。
今後農村は老齢化と、貧困化が急速に進むはずだ。放棄される集落もますます増える。山梨県の境川村の1960年までの青年団活動は、生活改善や、文化運動が結構盛んだった。お寺の本堂を使った、青年団の集まりなども、おこわれていた。おじいさんは家族には、あまり良い話はしないのだが、その日は挨拶をにこにこ顔。格差社会というものの一番のこわさは、人間の交流から生まれる文化の衰退である。すでに農村の稲作から生まれた文化は消えたと言っていい。人間というものが大切にされない。安倍氏の美しい日本には、農村の現実を直視しせず、日本を作り上げた思想が空白になっている。肝心の人の暮らしが、抜け落ちている。大企業の労働者が賃金が上がり、消費をすれば、景気が良くなる。大多数の人間はおこぼれを拾えばいいだろうという程度だ。農家を継続できる環境は、どんどんなくなってゆく。農村の本当の格差は、文化的格差ではないだろうか。