水彩人15回展

   

「水彩人15回展」
が東京都美術館で、9月25日から公募展として開催されます。

水彩画に興味を持っている人は、是非とも参加してください。水彩人のホームページに応募の方法がのっています。

子供の頃から絵が好きで描いてきた。描いては来たのだが絵というものが、分ったと思ってはまた分からなくなり、それでも絵を描いてきた。今でもまるでわからないまま描いている。わからないながら50年もやってきたのだから、絵というのは不思議な魅力があるもののようだ。この水彩人の15回で絵というものがますますわからないものだと、煮詰まって来たのだと思う。水彩人は現在は、公募展として水彩画であれば、誰でも出品できる公募展になっている。当初は、仲間で始めた勉強会であった。そもそもと言えば、20代から続けてきた勉強会があった。毎月描いた絵を持ち寄って勉強しようという集まりである。今はなくなった、渋谷のゆうじん画廊などで行った。自分の描く絵が一体この世の中で、どういう意味のものかを、いつも考えていた。考えすぎているので、ついついそういう類の人間で集まろうということになったのだろう。当時は、若かったこともあり、絵描きになろうというものが集まっていた。しかし、私のように途中であきらめざる得なかった者も、そのまま一緒になって勉強会だけは続けてきた。

私は40歳から、春日部洋さんという魅力的な水彩画を描く画家に指導してもらうことになった。春日部先生は世間では油彩画の人と見られていたが、水彩画の方が面白かった。その面白い水彩画はあまり発表はしなかった。たぶん職業画家としてやって行くには、油絵を描くしかなかったのだと思う。そういう意味では、山下尚さんなどもそうなのではないかと思う。中西利夫という水彩画家の人もそうだったと思う。日本の画壇に対して、水彩画を絵画として認めさせたいという気持ちがあったのだと思う。それで、春日部先生は水彩画の勉強会を始めたのだ。それは先生がなくなるまで10年ぐらい続いた。毎月の勉強会を銀座の美術家連盟の会場でやることが多かった。水彩連盟という組織に絵を出していたのだが、この会は水彩を使う人もいるが、本質はアクリル画の会のような気がしてきていた。違和感を感じるようになった。大きいことや強い絵ばかり評価していた。安井賞を受賞した人が2人もいたので、なおさらそういう傾向が強くなった。

水彩画は頭の中に湧きあがる発想なのだと思う。日本画の人でも、油彩画の人でもスケッチは水彩で行う人もいる。簡便ということもあるが、頭に浮かんだ絵のヒントのようなものを書きとめておくには、素早いし、的確なのである。たぶん水彩画を描く人は、そのヒントだけでいいと考える人なのではないかと思う。文学でいえば、俳句である。極めて短い中で、言い足りないことばかりである。しかし、その短い詩形が自分にふさわしいと感じる芭蕉のような人もいる。水彩画も同じような傾向がある。本画とスケッチを分けて扱うような作家にしてみれば、水彩画では物足りないことだろう。しかし、頭に湧きあがるイメージというものに一番近いのが、水彩画であることは確かだとおもう。マチュエールとか、質感等も、頭の中のイメージでは水彩的である。そこにむしろ絵画の本質が秘められているのではないかと、私は考えている。

最近水彩画を描く人は急増している。絵画というものが、立身出世の手段とか、生計を立てるためにとか、言うような職業目的ではなく、自分自身の生きることの確認の手段として考えられるようになってきたためだと思う。絵を描くのは、発表するためでないという人が、沢山いるのだとおもう。そういうむしろ多数派の人にしてみれば、公募展など論外だと思う。私たち水彩人同人の多くも実はそう考えている。そう考えているのに公募展をやるのは、矛盾のようではあるが、実はそういう個人的に絵を描いている者でも、互いの本音をぶつけ合う場が必要である。それが自己確認であり、成長であると考えたからだ。是非、本当の仲間を求める水彩人は、応募してきてほしい。

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