靖国参拝と英霊

   

靖国神社の春の大祭に際し、国会議員が168名の参拝。副総理の麻生氏の参拝。閣僚3名の参拝。安倍首相は真榊と呼ばれる供物を奉納。過去に例のない規模である。これで外交問題にはならないというのが、政府の見解である。あまりの鈍さににあきれる。外交問題化の覚悟で参拝したというならまだ話はわかるが、これで中国、韓国が反発して外交問題がこじれると誰もが心配している。現政府には外交問題化しても解決する能力はない。政府の一番大事にしているのは、アベノミクスという経済政策ではなかったのか。最も重要な要素が国民のマインド、とか言われる気分である。これから良くなるぞという気分を作り出すという矢先、中国韓国に反感を受けてマインド低下にならないのか。予算委員会での、気の乗らない答弁のように、こうなる覚悟がなかったと言うのなら、政治家として失格だろう。いよいよ安倍政権の隠してきた国家主義が噴出してくる予兆なのか。

靖国神社というのは、日本の軍人、軍属等の戦死者を祭神として祀る神社である。戊辰戦争・明治維新から始まり、太平洋戦争に至る軍関係者246万6532名が祭られている。明治に始まる帝国主義を象徴的に意味するものだ。靖国神社が国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であると考える。さらに悪いことには、国家や天皇と靖国神社を結び付ける傾向など、危険な要素を含んでいる。神社と言っても日本における、村の鎮守としての部落の神社は、いわゆるヨーロッパ的な概念の宗教とは言えない。原始宗教的なもので、アニミズム的なものと考えた方がいい。その古代的な日本人の土俗的民俗意識と、天皇の存在は微妙に関係している。明治政府の帝国主義的思想が、天皇を利用したことには、大きな間違いが存在する。本来の天皇は、稲作の技術と文化の要として影響が深く、自然にゆだねる食料に対する祈りに通じている。

仏教を国家宗教として利用しようとした、古代日本社会と天皇の関係を見れば、神道がいわゆる宗教でないことはわかる。この曖昧な日本人的意識を日本人の天孫思想とを結び付けようとした明治政府の富国強兵政策。靖国神社はそうした思想的背景をもとに、帝国主義的意図をもとに作られた、日本的ではない軍国神社である。現代日本の政治家がこの神社にこだわる不自然さの方に気がかりな点がある。何故、国粋的な思想と靖国神社が結びつくかである。日本主義のようなものは私にもあるが、死んだ軍人を祭る神社を、日本と言う国と結びつける気持ちはない。靖国神社には、第2次世界大戦の戦争責任者たちが祭られている以上、近隣諸国が侵略された立場で不愉快な存在であるのは当然のことである。靖国に参拝するような人は、侵略ではないという立場であるのだから、なおさら近隣諸国にしてみれば、許しがたいことである。しかも、今回のように私的立場の行為まであれこれ言われたくないなど、居直る日本政府の態度に、近隣諸国が不安を感じて当然のことだろう。

英霊を思いやる心と言うなら、靖国神社とは別に、戦没者霊園を作ることが必要である。靖国の軍神にさせられたことを苦々しく考えている戦死者もいるだろう。何度も無宗教の戦没者霊園の話が出ながら、いつも立ち消えになるのは、日本の政治の裏の本音を感じる。戦没者に対して敬意を表することと、日本を戦争に導いた責任者に参拝するのでは、意味が違う。本音では、軍国国家に日本を導いた人たちを尊敬しているのだろう。思いやるべき英霊は近隣諸国にもいる。特に、歩み寄りを見せてくれた朴槿恵政権に対して、政治的な失策である。日本の国会議員の靖国参拝を容認することでは、韓国の世論は収まりがつくはずがない。北朝鮮が危機的状況に進んでいる今の時期、大切なことは、日韓の連携である。第一は、すべての戦死者を尊び、恥じない行為である。もちろん中国に対する外交戦略としても韓国が重要な存在である。安倍政権の靖国参拝問題は、日中関係の悪化をもたらすだろう。

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