食糧自給と耕作放棄地
耕作放棄地は、相変わらず増加している。全国で40万ヘクタールと言われている。これを私の自給農業で換算してみれば、1000万人が暮らせる面積である。これは耕作すればまだ、農地に戻るものを表している。既に原野に戻ってしまったものは、農地ではないので耕作放棄地とも言われなくなっている。多分、その面積もさらに同じくらいはあるだろう。あしがら地域で考えて見ると、戦後のすぐの時代は、見渡す限りの里山が畑だった。麦や大根や陸稲なども作っていたと言う。本当に食べるものが無くなれば、あらゆる場所で食糧を作ることに成る。なにしろ東京に暮らしていた、父の家族は相模原の現在米軍基地に接収された場所で、開墾をし、食糧を作ったそうだ。家で作った糞尿の肥料をリュックに入れて担いで、小田急線で通ったという。
小田原の状況で言えば、後5年で小田原の農業と言えるような形態は失われるかもしれないと、役所の農業関係の方が言われていた。特別な人が、特別な農業をしてはいるだろうが、昔のような地域の暮らしが、農業と関係して存在するということは考えにくい。つまり、今の農業者は団塊の世代を中心とし、定年退職者を加えてかろうじて現状維持という状態であろう。ご先祖からの農地を大切にしたいという思いがまだ、存在する。しかし、この世代が70歳を越えれば、農業を行う人は様変わりするだろう。農地の財産価値がはっきりと下がれば、継続の意思も弱く成るだろう。もちろん誰も居なくなるのでなく、全く新しい形で、過去の財産管理的な農業とは隔絶した形で、農業を起業するのだと思う。現在農業を継続されている人は、特別な人である。新規就農する人が居なくなるなか、継続しているのだから、独特の強い生き方を持った人たちである。農協の運営委員会に2年間出ていて、そう言う事を感じた。
次の時代の農業について、業としては意見は無いが、営業という事とは違う農地の利用の形態は増えると確信している。工業団地にしたくとも、住宅開発を待っても、もうそういう時代は来ない。人口減少時代に入っている。今あるもので十二分である。農地を使用目的を変えて利用するということは、あり得ない時代である。多くの農地は自然に戻って行くだろう。そう言う事が、さらに害獣を増やすことにもなり、そこには、外来の獣もいたりして、今までのやり方では農業はさらに困難になるに違いない。その上に、農業外の暮らしをする人たちが、農地の周辺で暮らしている。農振地域であっても、農薬はもちろん堆肥を作る臭いが、問題になる時代に入る。そうしたことを上手く折り合えるような農業以外、わざわざやろうと言う人はいなくなる時代。煩わしい思いまでして、やるほどのことは無いという時代は始まっていると思う。
耕作放棄地が、自然に帰って行くことも一つの選択である。それより、今農業に関心を持つ人には、実にすばらしい時代が来ているという事が言える。農地は幾らでも広げられる。買っても安い。借り放題である。企業的に参入する人にも扉は開いている。しかし、そううまく行ったという話は聞かない。それは従来の発想を拡大展開したような農業では、日本では無理だと言う事に成る。日本の農業は補助金が莫大に入っている。補助金をもらう人と対抗して農産物を作るのは無理である。自分も補助金をもらうか。営業をしないかである。補助金をもらうということは、従前の発想の中の仕事となる。既得権益との戦いが待っている。こうして新規参入者は成功しないように出来ている。素晴らしい条件を前にしながら、見えない大きな壁が建ちはだかっている。発想の転換が必要なのだろう。私のように過去を引きずった考え方では、次の農業は見えてこないのだろう。
昨日の自給作業:畑の周辺の草刈り1時間 累計時間:20時間