避難してきたフクの様子
散歩をしている「ふく」
セントバーナードの「ふく」は幸せの福である。福島の南相馬市から、避難犬としてやってきた。一時避難のつもりが、もう1年半に成る。ふくには悲しい辛いこともあったのだが、今は元気にやっている。とても賢い犬である。順応性が高い性格のようだ。いまでは子供の頃から私の家で育ったような顔をしている。これがまた本当にでかい顔で体重も私よりはるかに重い。大きいなりをして、これほど甘ったれの犬というのも初めてである。甘ったれの所が可愛いのであるが、甘ったれは嫌いなので、かなり厳しくしている。力が私より強いので、わがままにしてしまったら大変なことになる。多分、来た時には1歳くらいと思われる。痩せこけていた。体重も45キロだった。あっという間に75キロまで太った。育ち盛りと言う事もあったと思う。来た当座は可哀想なくらい、気を使っていた。あちこちたらい回しに成り、気を使い過ぎて痩せてしまったのだろう。
南相馬のある犬舎から来た犬だと聞いたので、尋ねてみたことがある。南相馬市の役所にも聴いてみた。保健所にも聞いた。当時は犬のことどころでない状況のようで、取り合ってもらえなかった。育ててくれた人に、無事暮らしていることを伝えたいと思った。もう一年半も家にいるので、このままでもいいのだが、気持ちとしては今も一時預かりである。どなたか飼ってくれる人がいれば、その人に任せたいとも思っている。寒川のUKCでは、避難犬をこのままいつまでも置いておくわけにもいかなくなっている。もっと環境の整った所で、ティアハイム(動物の家)建設を目指している。これはとても困難な事業に成ると思われるが、代表の細さんは本気で取り組んでいる。初めて京都にお尋ねした時すでに、こうしたことに関心を持たれていた。ブリーダーの人がこういう考えを持つと大変なことに成ると、むしろ心配だった。嬉しいことだし、尊いことなのだけれど、日本では一つも実現していない大変なことだ。
福島の原発事故は、人間の暮らしかたの「方角の間違い」を示唆している。豊かさとか、利便性とか、経済性に、競争心で向かってきた事の限界である。日本人の明治維新以来の西欧に負けてなるものかの、方向の転換である。それは世界全体が、見直さなければならないことでもあるのだが、世界がこのまま進めば、悲惨な崩壊が待っているという予兆が、原発事故ではないか。日本が世界に示してゆける価値とは、循環型の社会である。自然の中に自分の暮らしを織り込んでゆく。そして、文化芸術を深め、人間存在の価値を高めて行く。日本が一度目指した、江戸時代の良い側面である。新しい価値観を提案することが、世界にとってもいかに重要であろうか。又そうすることが、未来の世代に対する犯してしまったことへの謝罪にもなる。
ふくのことであった。毎朝散歩をする。他所の犬と顔を合わせても、人と会っても愛想が良い。この点はまことに助かる。それでも図体が大きいから、大抵の犬は尻ごみする。そうすると伏せをしてにじり寄る。小さなシーズーが近所にいるのだが、この犬が強気の臆病なのだが、それでも何とか仲良くしようと、大変な努力である。何にでも興味しんしんである。顔がパンダのようで、可愛らしい。笑った獅子舞の頭のようでもある。食事の食べる量は案外に少なく、雷田と同じくらいである。毎日卵4個とドックフードを茶わん2杯くらいである。それでも食べ残す日もある。癖なのか、毎食5,6粒のドックフードを残す。おっとりしていて、がっついていない。おからの乳酸発酵は大好きで、上の鶏小屋に散歩に行ったときには、楽しみにしていて食べる。毛が良く抜ける。だからブラシはよくする。なでられるのは好きなのだが、ブラシはそれほど好きでもないようだ。もし、飼い主さんがどこかにおられたら、元気にしているので心配されないように。