養鶏の道具
養鶏は家の上の方で細々続けている。100羽はすでに切っているので、役所の決まりでは養鶏業ではすでにない。ここまで減らすことは、地域の方とも約束したことである。鶏も年寄りばかりになった。卵の産卵もかなり悪く、30個を切っている。まあ、仕方がないところだ。さらに減らしてゆくつもりだ。この秋、たぶん狸と思われるものに、3回侵入され、5羽ほどやられた。一時はがっくりきて、もうここまでかとも思ったが、何とか金網を補修したり、トタンを回したりして、なんとか防いだ。この規模で電気柵は管理上無理。また、小屋がある場所が電気柵が設置が難しい。周りには、イノシシが掘り起こした穴が、やたらあいている。イノシシは鶏は食べないので良いのだが。鶏小屋周辺のみみずを掘り返しているのだろう。床描く最近の獣害は半端ではない。蒔いた緑餌までぐちゃぐちゃにされた。
良いことと言えば鶏糞の状態が良い。1羽あたりの草の量も100グラム以上と充分に与えられる。一羽の暮らす面積も広がったし、遊び場も十分にある。歳をとったとはいえ、鶏はかなり元気である。病気らしいものは全くないし、下痢もしない。何故病気をしないのか。それは病気と折り合いがすでについているからである。つまり、ゴキブリがどんなに不衛生所に、つまり病原菌の巣のような所で暮らしていても、ウイルス病に感染したとかは聞かない。不衛生な場所が好きな生き物は案外に多い。その原因はそれに相応しい、免疫能力を持っているからである。昆虫と言うものには実に不思議な仕組みが存在する。昆虫だけでない。鶏も物が腐って行く過程のようなものを餌にしている生き物である。それに適応した免疫力を確立しなければ、100万年の生存競争には生き残れなかった。不衛生というような人間の感覚が違う。腐っていればおいしそうと感ずるのだ。人間から思えばはるかに優れた機能を備えている。
鶏を飼い方は、鶏の自然の状態を思い起こす事だ。大規模養鶏が何百万羽一か所に飼おうというような、あり得ないことを想定するために、自然とは隔絶した飼育法が必要になっている。そしてそれを安全で衛生的なものと考え違いをしている。その御蔭で一個15円の特売に卵が出て来る有難さと、おめでたさ。いつか自然からしっぺ返しを受ける。大規模畜産はすでに、人間にも感染する、新しい手に負えないウイルスを生み出し、人間を襲い始めている。こういう事を止めておいた方が良いのは、多くの人が気付き始めている。しかし、金儲けの方を重要と考える人が競争に勝つので、今のところは、ますます悪い方に進んでいる。この競争は終わりが無いもので、法律を変えてまで自然養鶏を締め出し、もっと自然の摂理から離れた方法へと進んでゆく。経営という要素が悪い選択をさせてゆく。
道具のことだった。シャベルはあちこちに置いてある。気付いた時に地面に手を加えられるためだ。餌の好気発酵は以前のようにモルタルミキサーで行っている。上には麻袋を何重にも掛けている。100羽程度の規模ならこの方式で十分である。嫌気発酵はバンド付きのドラム缶で相変わらずやっている。鉄板のものだが、20年使ってもまだ使える。温度計、湿度計、時計、曜日、等が出る一体型のものを、発酵機の前に備えた。1、780円のシチズン製である。ぬらすと壊れるので、4代目くらいに成るだろうか。それでも今日の湿度、気温は毎日見る。発酵の調子はどこか連動している「。麻袋」大きくしっかりした、「土のう袋」。発酵床を入れる「米袋」。3種類の袋は常備品である。もみ殻、米ぬか、蕎麦がら、もみ殻クン炭。稲藁。これも常備している。アルミのハウスカ―と車の付いた緑のかご。も使っている。