社会保障と増税
現在の社会保障のレベルを継続するためには、増税が必要と言う意見が定着してきた。そして増税するためには無駄な経費の削減をしてからだということも、一応は言われている。無駄を省くのは当たり前のことで、増税とは関係がない。この議論の立て方の矛盾は、社会保障のこれからのあり方についての基本的な議論を避けている点にある。年寄りが増えているから、社会保障費が足りなくなる。こういう計算上の問題ばかりである。将来の社会において、社会保障や年金や医療がどうあるべきかをまず考える。自給生活もいつまでも出来る訳ではないだろう。せいぜい70歳くらいとして、後十年のことである。政府の福祉政策に一貫性がないため、公平性が揺らいでいることに原因がある。福祉政策は100年間ぐらいは、変わらないもので無ければならない。医療費が35兆円である。医療の世話にならないで暮らしているが、医療保険料は払わなくてはならない。それでも、医療保険料を感謝の気持ちで払えるかである。
収入のある年寄りに年金はいらない。無料の医療もいらない。月7万円の最低保障を行うのは良い。ただし、月収入が30万円以上ある老人には、一切給付はしない。簡単に整理することはできないことは分かっているが、年金をどれだけ積み立てたかを御破算にする。つまり年金の積み立ては掛け捨てだったと考え諦めるしかない。何とか暮らせる人には年金をもらわないでも我慢してもらう。幸せな社会のベースを再生することである。今日資本主義に基づく、競争社会が壊してしまった人間が交流しながら生きる社会。自給的社会をもう一度再生することだと思う。どうやって、思想、信条、宗教の異なる人間が、互いを認め尊重しながら、しかも一定の距離を保った連携が取れるか。互いに助け合う、新しい社会関係が見つからない限り、この先さらに厳しくなる国の財政は破たんする。
農業者は70歳の平均年齢と言われる地域が増えている。70歳の農業者が働いて行ける仕組みを考える方が、健全である。80歳までそれなりに働け得る環境を作れるなら、その方がさらにいい。ご近所の80歳の元気な農業者の方など、私よりよほど働く。それは、20歳の若者よりお年寄りの方が、その人のペースなら働けると言う事だ。昔からの農業のお年寄りは良く働くし、働ける。自分の家で昔ながらの暮らしをしているのだろう。最近、畑で見えないなと思うと、病院通いをされていると聞いたりする。はたしてそう言うお年寄りのように、地道に農業が出来る若者がどの程度いるだろうか。80歳を越えても何とか農業をして暮らしてもらえる、社会のほうがいい。お年寄りの役割があり、若者の役割があり、緩やかな連携が互いを生かすような関係。
社会保障を考えるときに、社会の再生が無ければ解決は無い。一言で言えば、新しい地域を作り出すほかない。そばに住んでいるとしても、暮らしのあり方はそれぞれにかわってしまった。昔ながらの農業主体であった時代の地域と言う考えでは、適合しないことが多い。孤立死、幼児虐待、を考えれば、個人情報保護と地域社会のあり方など、根本から見直しが必要であることは明白だ。先日、舟原は土砂災害危険地域の指定がなされた。なにしろ、同じ組内でもお名前も家族状況も分からない。電話番号も知らないし、緊急連絡先など当然知らない。この状況は極めて不安なことだ。しかし、今の時代ではプライバシーの事があるから、慎重にやらなくてはならない。その為、ハード的砂防工事が優先される。本来、里山の暮らしが存在し、山仕事、里仕事を重ねながら川を生かしながら、管理した。昔に戻れという訳ではないが、今度の震災でも人間の対応の方法が大切だということは良く分かった。