水彩人同人展終わる

   


会場で制作中

水彩人同人展が終わった。18人の銀座一枚の絵ギャラリーの展覧会である。水彩画と言うものが良く表現されていたかと思う。むしろ、この場にない水彩画の事を考えていた。水彩と言う材料にこだわっている訳ではない。自分が何故水彩と言う材料に向かったのかということである。13歳の時に中学校の美術クラブに入り、油絵具を買ってもらった。渋谷の道玄坂の上の方にあった画材屋に買いに行った。確か一緒に美術クラブに入った、井沢君と畠山君が一緒に行ってくれた記憶がある。父親にお願いしたのだが、その時の父親の態度はとても複雑な態度だった。喜ばれる事だと思っていたのだが、そうでもなかった。私が何かをやることに対しては、とても尊重されていたので、意外だった。何か釈然としないまま、13,000円の油絵セットを買った。今はその時の父親の気持ちがわかる。大正時代のイラストレーターだった父親、彫刻家になった兄、学者になった弟。

その時の桂材の絵の具箱は、油絵を描かなくなるまで使っていた。フランスでも使っていた。30年は使ったことになる。油絵をやめるにあたって、油関係の画材をすべて捨ててしまったので、残念なことに今は無い。油絵を描かないということは、それくらい決意のいることだった。まず、アクリルに変わった。アクリルと言う材料に可能性を感じた。その方向が間違えだと気づいて、水彩画に移った。何時まで経ってもアクリル素材としての美しさに進まない。可能性も低いと思わざる得なかった。ではなぜ油に戻らず、水彩の方向に進んだのか。それは日本の自然と言うものを描いてゆくうちに、水彩と言うものが持つ水墨的調子が、適合すると感じたからが一番。その頃毎日書を書いていたので、和紙に墨と言う、表現の奥行きに気付いたという事がある。水彩画と書の中間のような仕事に気がついた、ということである。何故かその時に、セザンヌの水彩の事が気になりだした。

井上有一氏の書が絵画として見られたように、セザンヌの水彩を「書」としての角度から見ることもできる。わざわざそんな変なことを考えないでも、私自身はそう言う魅力をセザンヌの水彩に感じて見ていた。筆触に焦点を合わせると、変人セザンヌが現われる。そしてその意味を考えて見ると、日本人の伝統的芸術観に行きあたる。書と言うものを見ているのでなく、書を通してそれを書いた、偉大な人間を感じようとしているのだ。ああこれが坂本竜馬の書ですか。などと言う風である。先日マチスはとんでもない人間だったらしい。と言う話を、水彩人の松波氏に言われた。確かにマチスの絵を見るとき、マチスの人間のことなど関係もない。この違いを、もう少し絵の上で考えて見たいと。このことは結論が出ないまま、出ないがために、水彩画を掘り下げて、日本の芸術のあり方を深めて見たいと考えた。

何も偉人になって偉大な絵を描こうと言うのではない。自分と言う人間が分かる絵が描いてみたい。自分と言う人間が見ている眼前のものを、そのままに画面に描いてみたい。それには水彩という方法がいいと考えている。水彩という素材が、私には合っているということである。墨で色を見る等という事をインチキとしか感じられない人間である。油絵のように質感を伴うと、物質としての絵と言うものを作り上げている、彫刻のような余分な作業がはいる気がする。あくまで観念の事としてやりたい。網膜に写る、脳の中で展開されるイメージを表現したい。そのことは、要点のメモのような事だと思っている。頭の中で再構成されるイメージは、必要な肝心なもの以外は消されている。「ああ、あの空はもう春の色だ。」一昨日そう感じた。そのわたしと言うものが感じた空の色は、どういう色なのか、画面に描いてみたい。
絵を買ってくれた人が居たので、その代金は福島に寄付させていただく。

昨日の自給作業:果樹の消毒二時間 累計時間:14時間

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