日本農業の展望
日本の農業が衰退にむかって居るという状況認識は、政府も農業者も共通であろう。多くの農業政策の提案を調べて見ても、これなら可能性があると言うものは見ない。大体はひどい状況に立ち至った理由の分析に費やされている。例えば、農地の所有が農地解放により分割され小規模農家になったことが、生産性を落とした。また、戦後の農地法や、農業員会の存在によって、農地の流動性が失われ、優良農地の無計画な転用が起こったこと。又相続によって非農家の農地所有や、さらなる分割化が進んだ。その上に耕作放棄地が増大した。そうした一般的な分析が間違っている訳ではない。しかし、農地が一体化し、大規模農家であれば経営できると言う考えが正しいかどうかである。まず労賃である。外国人労働者を低賃金で導入すべきという考えを、21世紀政策研究所 と言うところは提案している。私の提案と同じ位現実性にかけている。
耕地面積が大きくなり、低賃金の労働力が導入されれば、国際競争力のある農業が可能になると言う政策がまともな政策には思えない。このことは日本人の労賃では、国際競争力は無いということを言って居るのである。外国人労働力を入れて行う農業は、輸入食糧と言う方がいいのかもしれない。自給食糧を重視するのは、国の安全保障の側面もある。労働と言う根幹を、外国人に依存することはまともな国とは思えない。さらに、一次産業を外国人労働力が担う社会と言うのは、悪い社会である。そんな国に日本にはなって欲しくない。しかも、労賃的に差別すると言うのだから、奴隷を抱えた社会に進めという政策である。まともな考え方では、日本農業は再生できないという事に見える。それ位なら、中国がアフリカにやっているような、海外に日本の生産拠点を作ると言う方がまだましである。
農地が大規模一体化されれば日本農業も国際競争力が生まれる。という意見は一般的な意見である。大規模と言えば、アメリカの1農家が169ヘクタールで平均耕地面積が74ヘクタール、日本で言えば北海道位が唯一可能なことだろうか。アメリカという広大な耕地面積の中で、農業者数は日本とたいして違わないのだ。大規模化すればいいと言うことは、間違っている訳ではない。日本の場合土地の利用が混在する現状から言って、強権を発動したとしても限界がある。大規模化する農家に補助金を出すのだろう。それでは今までの補助金と同じで、補助金のない地域の農家をさらに追い詰めることになる。政府は脱落する農家が居ることを望んでいるように見える。国全体の食糧自給はどうなるのだろう。農地の環境的維持機能はどうなるのだろう。大規模化を考えるときには、大規模化できない大部分の地域とその農業者をどうするのかを、合わせて考えておかなくてはならない。この大半の大規模化できない部分に対する政策の提案が欠けている。
そこで私が考えるのが、全国民農業者計画である。よく言われる半農半Xと似ているが、この言い方は誤解を招きやすい。大規模化できない地域に関しては、農地法に置いて自給農業を行う地域を設定する。その地域は住宅と農地が混在しても問題ないような、自給農業地域を法的に設定する。この地域では、例えば10羽までの鶏が自由に飼える。空中散布や集団防除はしない。住居を土地の50分の1だけ建てられる限定条件を付ける。土地は300坪以下には分割が出来ない。自給農業を行わない者、行えなくなった者は土地の権利を公共に返納しなければならない。そして出来る限り土地を公共化して行く。公共化することで、耕作放棄地を無くして行く。さらに中山間地については、環境維持機能を重視し、そこに暮らしてくれるだけで生きて行けるレベルの補助金を出す。森林管理を含め、一種の公務員として雇用してゆく。