森田童子の歌のこと

   

  「みんな夢でありました

 あの時代は何だったのですか あのときめきは何だったのですか
 みんな夢でありました みんな夢でありました
 悲しいほどに ありのままの 君とぼくが ここにいる

 ぼくはもう語らないだろう ぼくたちは歌わないだろう
 みんな夢でありました みんな夢でありました
 何もないけど ただひたむきな ぼくたちが 立っていた

 キャンパス通りが炎と燃えた あれは雨の金曜日
 みんな夢でありました みんな夢でありました
 目を閉じれば 悲しい君の 笑い顔が 見えます

 河岸の向こうにぼくたちがいる 風のなかにぼくたちがいる
 みんな夢でありました みんな夢でありました
 もう一度やりなおすなら どんな生き方が あるだろうか

原発の事故以来森田童子さんのこの歌を思い出す。徹底的にセンチメンタルな想念の詩に引きつけられる。あの学生時代の矛盾。何かがおかしいと思い続けた、もやもやのやり残し。その付けがいまになって、こういうことだったのかと。河岸の向こうは放射能に続いていた。「もう一度やりなおすなら どんな生き方が あるだろうか」そう自問しても、もう一度同じことをやっている自分が居る。自己否定できない自分が居る。そう自己否定と言うような言葉を使った時代。力のある人はある人として、力のない者もないなりにやるのだろう。今思えば思い当たる事ばかりである。悔恨をこめて、あの時代と呼ぶしかない悲しみが満ちて来る。今となってみれば、想像していた通りの結論。無力を思い知らされる日々。しばらくの戦線の撤収のつもりが、敵側の戦線で戦って居たような不思議。頑張って生きると言うことが、今更の如くの無力感が取りつく。

進歩と言う悪のエネルギーは「何だったのですか。」それが地球を崩壊させる道であることを、どこかで知りながらも進んでゆく暗い情念。推進するエネルギーと反対する魂が、振り返ってみれば、まるでひとつのことのように思える悲しみに捉われる。エネルギーすべてが原発に成る時代を思い描いてみればいい。必ず日常的に事故が起こる。自動車と同じだ。便利で社会を変えたがそれで死んでゆく人も、数限りない。しかし、自動車を止めろと言う人はいない。進歩と言う破滅。その事故は福島で経験したように、人間が住めない地域を作り出し続ける。そうした現実を見ないようにして、熱病にでもかかったように思考を停止したまま、無反省に進み続ける。事故は2度と起きない。一度事故を起こし、それを乗り切ることで、より安全な原発が日本には作れる。怖ろしい展望を失った情念。何故気付かないでいようとするのですか。

それは、産業革命以来の人間の来た道がそうした方向の道だから。間違いを認めることは人間の進歩と言うものすべてを否定することになるから。自分達がひたすら努力していたことすべてを間違いだったと認めることになるから。あの作った道路も、あの作った病院も、あの作った学校も、すべてが間違いだったということになるから。人間の命を守るということすら、間違いとしなければならないような自己否定。絶対的な価値の否定。科学信仰の否定。前提とすることすべての自己否定が必要な事だから。修正はできるが、否定が難しい。それが人間である。そうして人類は滅びに至るのか。そう思わざる得ない予兆。人間の業。人間の宿命。進歩や前進と言う悪の想念。同じであることのできない。勝とう、出し抜こうと言う不幸を携えた人類。「みんな夢でありました」

あれ以来、暗い想念に取りつかれる日が多い。

「もう一度やりなおすなら どんな生き方が あるだろうか」

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