稲藁堆肥ともみ殻クン炭

   

稲藁堆肥を積んだ。2反分くらいは積んだ。大きさで言うと、底面積が2坪くらいで高さが背丈位である。犬の散歩に行った時に少しづつ積みあげている。大きな山にすれば、堆肥になるのも早いのではないかと考えている。一段積むごとに、ソバカスを蒔いている。現在ソバカスが60袋位使ったことになる。蕎麦の製粉かすは米ぬかなどより窒素分のないものだが、それなりに発酵する。藁にかけただけでどうなるかは分からないが、試しでやってみている。藁を細かく切って積んでゆくのが望ましいやり方なのだろうが、そんなに手間はかけられないので、藁はバインダーで結わえたままもある。バインダー紐はどうなるのだろう。できる限りハサミで切りながらやったが、面倒くさいのでそのままもある。見て居た下田さんのおばさんに、そんなとこに積みあげたら後が大変なことだ。と言われてしまったが、そうかもしれないと思う。

もみ殻クン炭は保米缶を利用した方法である。昨年農文協のもみ殻活用のビデオを見て、余りの効率の良さにびっくりした方法である。昨年保米缶を2つ手に入れて、昨年からやっている。まだ脱穀が残っているのだが、山がどんどん大きくなるので、一部クン炭作りも並行して始めた。昨年より、時間がかかる。理由は分からないが、昨夜は9時に初めて、9時には完成せずそのまま寝てしまった。明るくなったら見に行くつもりだが、すでに灰に成っているかもしれない。次回は朝、早くに火を入れて、様子を見たい。雨で濡れていたことが、時間がかかった理由なのか。最初の着火は良く燃やしてから、もみ殻を入れた方がいい。火が消えかかり手間取ったので、遅れが出たか。あるいは、夕方に仕掛けて、翌朝までというタイミングにするか。このやり方が良いのは、火が広がる可能性がないことだ。田んぼに積んで火を入れれば、風があれば怖い。

藁堆肥も、もみ殻クン炭も、田んぼからいただくものだ。稲に対する感謝の気持ちがある。田んぼ全体に対する、感謝である。循環とか、もったいないとかいうことなのだが、疎かにしたら罰が当たるという率直な気持ちである。今の農業では、藁はいらないと言う人が居るが、私には藁を捨てることは難しい。田んぼに申し訳なくてできない。あんなに頑張ってお米を実らせてくれて、大切に扱わなくては罰が当たる。もみ殻だって同じで、昨日は古米の籾すりをしたが、一年間立派にお米を守ってくれた。素晴らしい構造をもったものだ。妙なる自然の神秘。これを炭にすれば、苗作りの際とても役立つ。春先に種を蒔いた後、もみ殻クン炭を撒き散らせておくと畑が温まっていい。藁は鶏小屋に入れる分の保存が居る。鶏小屋で床を良くしてから、畑に行く。いずれも、使い道は無限と言いたい農業資材になる。藁を捨てたり、もみ殻を捨てたりする農業はどこか、循環のできない、おかしな農業なのだと思う。

農水省の放射能に関する指示では、神奈川県の藁は利用していいそうだ。しかし、もみ殻クン炭はまだいけないということになっている。この指示は政府が無能であるかを示している、無限の事例の一つである。このことを直接聞いてみたが、理由はないらしい。理由がないのにまだ待つようにと言う指示である。お上の御威光と言うことか。移行計数の調査では、藁の方がもみ殻より、放射能の蓄積は多い。炭にするより、堆肥にする方が重量比で言えば濃縮は進む。藁が良くてもみ殻がいけない、羹に懲りて判断力を失った。ともかく待って下さい。と言われていたが農作業の流れを考えたら、無意味に待つことはできない。現在5時8分である。投稿日時間は4時30分だから、38分で書いたことになる。投稿時間を書きあげた時間と言われた人がいたが、これは書き始めた時間である。明るくなるまでもう少しの時間である。早くもみ殻を確かめに行きたい。

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