暮らし術

   

農家に教わる「暮らし術」――買わない 捨てない 自分で作る――農文協から出た最新の本である。これはまるで自給自足のバイブルのような本だ。暮らしのだいたいの所が網羅されている。これで自給生活が出来る。とまでは言え無いが、楽しくなること請け合いである。実は私の鶏の飼い方が、取り上げられている。だからという訳ではないが、とてもいい本である。生ごみ堆肥から(3種類もある)土間の作り方まで、農の会の教則本のようなものである。これから農の会に来た人には、必ず読んでもらうようにしよう。暮らしを知っていた農家も、急速に消えていっている。50年前は当たり前に農家のおじさんたちが協力して、土間を作っていた。釜戸も作っていた。屋根も葺いていた。ほとんどの道具は自給していた。ある時様々な貴重な技術が一気に消えていった。気がついた時にはほとんどの暮らしの技術が消えていた。

鶏の飼い方について言えば、農家の鶏の飼い方は前近代的なものとして、駄目なものに位置付けられた。世界で最も優れた飼育法だったにもかかわらず。あっさりと日本鶏の飼い方が、消え去った。犬のえさがドックフードに成ったように、鶏の餌は配合飼料に変わっていった。変わるのはまだしも、以前の餌の作り方は、どんどん消えていった。お風呂の作り方がある。ドラム缶風呂も、本格的な五右衛門風呂もある。こういう工夫自体が暮らしの面白さだと思う。使う必要性もあるのだが、作ること自体が楽しくなる。食べ物を作ることと同じだ。お米を作るのは、労働ではあるが、楽しみでもある。何故楽しいかと言えば、人に管理された、監視された労働者の労働ではないからだ。自分の暮らしに必要であるから働く、この労働は時間当たりいくらで労働を売る訳ではない。この違いが大切なところである。暮らしとはそもそもそういうもので、狩猟民が狩猟をすることは暮らしの一要素であり、基本的労働ともいえるが、それは楽しみそのものでもある。

この本に出て来る暮らし術は、その術の全貌から言えば、ほんの一部である。「竹で作るハウス。」何とも面白い発想である。竹の暮らしでの利用は本当に失われてしまった。竹ほど使い道のある材料はない、竹を使った暮らし術という本があっても良い位だ。そうやって日本人は暮らして来た事が分かる。伝統工芸と言われるものの中でも、竹を材料にしたものがかなりある。茶道の道具など極限と言える竹利用だ。今や竹は迷惑な植物の筆頭に成っている。つい50年前までは屋敷周りの一角に竹藪というのは、当たり前の配置であった。そう地震の時は逃げ込むことに成っていた。あの素晴らしい繁殖力が、仇に成って目の敵である。現代農業でもどうやって竹を退治するかの暮らし術が取り上げられている。

ここにある暮らし術は現代農業の記者が歩き回って集めたものがもとだ。農文協は入社すると、どの社員もまず農家回りをするらしい。これで退社する人も結構いると聞いている。農家のおやじやかあーちゃんと気心知れないで、農文協はないという不思議な出版社らしい。多分農家を回っていれば、それまでのバーチャルの世界が、一変するはずである。農家がすでに見えなくなリ始めている。舟原という農村のはずの場所に暮らしていて、いわゆる農家だなというような家は、無くなってしまった。農家は工夫する。工夫を楽しんで暮らして来た。こうやった方が良いよ、というちょっとしたことに満ちている。そのちょっとしたものを見つける目が無くなって行く。この本は楽しい。読みながらぜひその工夫の山に分け入ってもらいたい。そしていつの日か、農家になれるかもしれない夢を見てほしい。

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