小泉武夫氏の講演会

   

小泉武夫氏の講演会が土曜日に開催された。梅まつり開催中の下曽我の梅の里会館である。小田原有機の里づくり協議会も後援団体の一つであった。当日は雪が予想されるとても寒い日であったが。盛況な素晴らしい講演会になった。主催者であるお元気な長谷川さんの姿も見られ、嬉しかった。司会進行をされたのはパルシステムの斎藤さんであった。お見かけするたびに、活力が満ちてきている。小泉先生は食の冒険家と言われて、伝統的食品発酵の技術を、文化としてとらえ直した方だ。発酵技術が世界を救う。と長年主張され大活躍である。発酵が伝承された民族の文化の一つであるとの指摘は、もう定着してきた考え方ではないだろうか。発酵を考えるときに、先端技術としての発酵もある。同時に伝統的な民俗文化であるように、世界各地で様々な手法が地域に根差しながら、展開している。小泉氏には「くさいはうまい」という本がある。

納豆はくさい。くさやだってくさい。食べ物と分かっているから、くさいさが美味しいのである。発酵というものの奥深さがここにある。単純にくさいは悪い。と言い切ってしまわなかった人間の文化の奥行き。以前、納豆をみんなで作った時、腐ったと感じて食べられなかったという人が居た。そうだろうと思う。それを食べた人が居たから、食が文化として形成された。食べ物の複雑系。「美味しいはまずい。まずいは美味しい。」というようなことだってある。子供は純粋に率直に美味しいさに反応する。それは純粋であるが、単純素朴である。奥行きのある味覚はまだ理解できていない。体験を重ねながら奥深い美味しさを身につけて行く。それが食文化である。発酵はふぐ毒の浄化すら行うと同時に、アフラトキシンのような猛毒をも生成する。特に農業分野では発酵技術が土壌を育む、根底の伝統的な技である。民族固有の文化として、発酵技術が展開されたのは、その土地に根差した微生物が存在するからである。ニューギニア高地人とイヌイットでは当然異なる微生物を利用している。

日本人は和食という素晴らしい食文化を作り上げた。これは日本という風土がいかに豊かであったかである。各地の伝統食は発酵技術の宝庫である。今回の小泉氏のお話は梅の里曽我に相応しい「梅」のことであった。梅が中国から渡来して、日本人の食文化に与えた影響の大きさ。江戸時代には存在したが、今では消えてしまった様々な梅を利用の発酵料理。江戸時代の食文化のすごさを痛感する。現代という時代のみすぼらしい状況が再認識される。梅一つにこれほど思いを込めた江戸の粋の文化。白身魚に色つきの醤油ではと、作られた琥珀色の「煎り酒」。梅の実が持っている精神を安定させる効果。ミネラルの力、ミネラルを豊かに摂取することで培われた、思いやりある人間性の醸成。学問に裏付けられたお話の説得力は、圧倒的なものがあった。1時間半があっという間に過ぎてしまった。

講演の冒頭には、農業政策の無策な現状。TPPがいかに売国的、アメリカに国を売るようなものであるかを話された。そして最後に小学校での英語教育がばかげた教育方針であるかを述べられた。やはり農業にかかわるもの共通の思いである。日本文化が滅びてしまう危機が迫っている。日本文化とは、明治以降に強調された富国強兵的な、競争的なものではない。お互いを思いやる共存的な文化である。全体が良くならない限り、自分も良くなることはできない。発酵の技術を独占するのでなく、地域の伝承として伝えて行く。現代人はその発酵技術すら、商品化して利潤にまい進することを是とする。寂しいことである。発酵菌を商売に利用するなど、自然のおおらかさに比べて卑しむべきことである。小泉氏の講演から良いものをたくさんもらえた。

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