TPP反対の大義
「TPP反対の大義」農文協ブックレットが送られてきた。大義とはまた時代がかった書名である。大義のない反対が多いということなのだろう。「大義」とは家臣が主君国家に対して、忠誠を誓う儒教的精神のことだから、あえて言えば、日本を思っての反対であり、良くある反対の為の反対とは違う。TPPに加盟することで、自給率の確保は難しくなることだけは間違いがない。日本がEUのように域内を通貨統合するような経済圏を目指す、大きな目標を持っているのだろうか。少なくとも、国民の中での議論にはなっていない。しかし資本主義経済は国家を越えて動いている。すでに、EUもアジア諸国も経済圏としては、貿易の比率は変わらない。経済はいったん踏み出せば、国家の理念を越えて動いて行く。しかし、このTPPという枠組みは、対中国経済を睨んでのものだろう。アメリカの経済苦境を打破する戦略である。なにしろつい半年前には、食糧自給率50%を主張した政党が、突然、農業を見捨てた。もう民主党に期待するものは何もない。
これは中国包囲網と見ておいた方が正しい。経済成長著しい中国を、いかに国際ルールの中に組み込む事が出来るか。アメリカと日本がアジア諸国と自由貿易協定を締結し、中国を孤立させ中国の加盟を引き出す。となると、米中日の経済規模上位3カ国が、関税を撤廃することに成る。それは世界の経済の枠組みが変わることでもある。これほどの大きな国家の成り立ちにもかかわる問題が、理念なく進んでいることは、危険なことである。要は、拝金主義的野合ではないのか。こうした正義の理念のない連帯が、いかにも行き詰まる資本主義経済の末路にも見える。日本がアジアの一国である自覚のもとに、目指そうとする理念。このことを深く考察する必要がある。経済の為だけの連帯なら止めておいた方がいい。しかし、このことは止めておくとか置かないでなく、資本主義経済を行う以上止められない、と考えた方がいい。
では農家はどうすればいいのか。自給農業に転換することだ。そうすれば自分の身だけは守れる。農業の出来ない、都市の人々は遠くの国で作られた、低価格のお米を食べればいいだろう。可哀そうだが仕方がないことだ。多分徐々に米食も止め、パン食に変わってゆく。そうして、日本人が日本人となった稲作文化全体が消滅することになるだろう。TPP加盟で、思想を持ち、何とか農家を支えてくれた都会の消費者組織が、ついに消滅するだろう。いくらかは田んぼをやる伝統技術職人として残る程度に成る。その方が経済的合理せいがあるとするのが、日本の方向なのだ。私個人は少しも困りはしない。自給農業はいよいよ本領を発揮するはずだ。食べ物は価格ではないとする人間だけが、自給農業を行えば良い。農家はいよいよ無くなるだろうから、自給の為の農地は十分に生まれる。自給をやろうと考える人だけが、やればいい。管政権だけではない。今の日本の行き方であれば、背に腹は代えられないと多くの人が判断しそうだ。
日本の山河が荒れ果ててみすぼらしい国に成っても、それすら気付かない人々が大半に成るだろう。底の底まで落ち込んだら、人間が生きるという本質を模索する。そうした動きが起こるやもしれない。人間は楽な方へ楽な方へと行きがちなものだ。田んぼの草取りをやるより、除草剤をまく。当たり前の人間の業だ。しかしあえて、田んぼの草取りをやる。そうした人間が残る可能性がないとは言えない。それまで時を待つしかないのだろう。TPPぐらいで驚いては居られない事態が待っている。TPPに加盟したはいいけれど、日本がどんどん競争に敗れて行く姿まで目に浮かぶ。車だって、携帯電話だって、タイ製の方が性能がいいから、などということになる。今の日本人があるのは、江戸時代以来の日本人を作り出した稲作文化があるからだ。だからノーベル賞を取る学者だって現れる。しかし、そうしたものを失った日本がどこまで落ちぶれるか。ああ目に見えるようだ。