就農相談

   

就農相談があいつでいる。2週に一人ぐらいのペースになっている。一年前は月に1人位だったから、急激な増加である。喜びと驚きと戸惑いがある。当然のことながら、その多くの人が、農業で生計を立てようと考えている。まず書けば、それは不可能である。これから農業を取り巻く環境は、さらに困難になる。農業で生計を立てることはほぼ不可能になると考えた方が良い。そのことを正確に書けば、農業のほうは戦後それほど変わらない。世間のほうが大きく変わった。子供を大学に進学させる。そういうことは、出稼ぎでもしなければ、普通の農家では出来ないことだった。今も変わらずそうである。以前藤沢の有機農家のAさんが言っていたが、「自分の家の暮らしは特段昔と変わらないのだが、子供が家は貧乏なのと、言うので驚いた。自分は今で十分満足なのだがが、子供のことを考えると世間並みでなければ、農家はやって行けない。」

農家をやって世間並みに暮らす。そういうことはできない。多くの新規就農者は農業に入ることを、就職と考える。当たり前だが、農業の場合少し違う。近い感覚でいえば、絵描きに成りたいに似ている。成れない訳ではないが、めったにはなれない。以前は「喫茶店をやりたいのですが。出来ますか。」これと同じくらいの困難さと思っていた。今は、様々な困難を生き抜いてきた超人的農家の人が、いよいよ無理だというような状況である。しかし、世間の就職も困難を極めているようだ。農業なら試験はないから、やろうと思えばやれないことはない。しかし、有機農業技術がじつは身につかない人が半分である。有機農業は絵を描くに似ている。いくら教わったところで、誰にも絵が描けるものでもない。理屈は良いのだが、絵にならない人が大半である。しかも絵は描けるのだが、商売にはならないというところも同じだ。農地があればできるというなら、既存農家は土地も家もある。続けられない訳がない。

就農の条件を考えて見る。
1、「体力があること。」同じ肉体的作業を一日続けられるような体力があること
2、「観察力があること。」明日の天気が自分で判断できるような能力が必要。
3、「経営的計算が出来ること。」日本の社会状況の中で、自分の農家設計が立てられる人。
有機農業で農家に成るには、知力・体力・感性の3拍子揃った人でないと出来ないということになる。しかも、政府のその場限りの方針転換を読み切らないとならない。有機農業の有利販売も危うくなってくるだろう。国際競争力のある農業生産物の生産。こういうことが想定できる人でないと、駄目となるのだろうか。資本主義社会の競争がたまらなくなって、農家に成る。あるいは社会の人間関係に耐えかねたから農家に成る。こういう思いはこれからの農業には、全くないと考える必要がある。

生業としての農家に成ることの困難さが増す中、自給農業の条件は様変わりしたほど楽になった。農家が出来ないから、農地が借りられる。ここ10年の激変である。止める人が多いので、農業機械は格安で手に入る。場合によってはもらえることもある。地域によっては家まで貸してもらえることまである。自給農業は観察力があればいい。体力も経営手腕もいらない。そろそろの加減の分かる人間であれば、可能である。ここが面白いところだ。1日1時間100坪、シャベル1本で可能。自分がどちらを望んいるのかを自覚しなければならない。その中間はない。趣味と実益。これは駄目だ。自分の生き方があって、その道筋に自給の農業がある。自給農業があれば、自分の生き方が貫ける。

 - あしがら農の会