みかん栽培
昨日はみかんをすべて採った。採っていたら、お隣の近藤さんや、山室さんが手伝ってくれた。遅くなるだろうと思っていたら、4時には終った。みかんの北限の地での、自然栽培は難しい。何度も枯らしながら、やっと方向が見えてきところだ。今年のミカンは、それなりのまあまあの味になってきている。リンゴの木村さんは居るが、みかんの木村さんは余り聞かない。木村さんのリンゴがどういう品種のものか知らないが。果樹は嗜好品の傾向が強く、改良や栽培法が人工的な管理を前提に行われている。接ぎ木苗であり、強剪定が基本である。自然と言っても完全管理の下の、自然をどのように考えればいいのだろう。海外では当たり前のことが、日本では変にもてはやされてしまう。福岡さんもみかんの自然樹形が分からないと書かれている。MOA農法の自然栽培に近いみかん園を沢山見せてもらった。何十回と食べさせてもらった。が、みかんの樹の樹精が弱いことを痛感する。旺盛な生命力が感じられない。近代農法のみかん園の方がむしろ活力がある。
小田原周辺がみかんの適地でないために、自然栽培が出来ないということを感じる。自然農法の原理から言っても、適地適作である。金さんのヨーロッパの有機農業の報告でもリンゴの栽培農家が、シードルまで作る話が面白かった。昔見たナンシ―周辺のリンゴ園では自然栽培が珍しくなかった。小さなリンゴで、色付きも様々だがとても味が深かった。エピナールから来ていた学生の家に泊まりに行ったとき、出してくれたアップルパイは美味しかった。そのリンゴは広い牧草地の淵の、道沿いに植栽のように植えられていた。それが延々と続く景色は田園そのものである。小田原でも片浦みかんと言って、海が見えるみかん園は景観も味も素晴らしい。別格で指名買いされる。潮風が良いといわれる。日照が充分あるということが何よりである。積みあげた石垣がまた風情がある。ヨーロッパに引けを取らない、というか小田原農家の誇りと言っても良い。
我が家の3本のミカンも今が収穫の時期である。まだ本当の味にはなっていないが、枯らさない技術が少しだけ見えてきたところである。大津という品種で、このあたりでは早くも古くなった品種である。昭和52年9月に品種登録された大津4号ミカンは、神奈川県湯河原の吉浜の大津祐男さんによって作られた。「十万温州を接木した物から発見した。珠心胚実生」とある。どこのみかん農家にも、沢山の苗の中に、この木は美味しいという木があるものだ。それを庭の一角に移植したりしてある。親木にして継穂を作る。そうして、みかん園全体に広げて行く。多分そうした改良の一種のような気がする。12月初旬がみかん狩りの時期だ。年内にはすべて採らないとならない。栗にも小田原改良の全国普及種があるのだが、湯河原で出来たミカンが全国に広がったということは嬉しい。今は、根府川の県の試験場で作出された、湘南ゴールドである。この木は3月4月が摘み取り時期というところが良い。丈夫だというので、3本苗を頼んだ。
みかんは相当に肥料がいるようだ。肥料分と言わないにしても、豊かな土壌を作ることが重要である。私は炭素循環農法のように、上から上から、堆肥を入れている。土はまるで見えない。草すら生えない。当面これで枯れることは無い。放任では徐々に活力が失われ、衰弱したように枯れる。選定も最小限にする。放棄みかん園はいたるところにみられるが、草に覆われていないとしても枯れている木が目立つ。虫が根元に入るということも言われているが、木が弱ることの方が先だと思う。しかし古くからミカンをやられている方が言われるには、樹を大事にしたらよいみかんはとれないそうである。昔は小「小みかん」と呼んだ小さな果実のみかんが小田原では作られていたらしい。白秋のみかんの丘は小みかん園を見てのことと想像している。「白秋のみかん」小みかんを復活させたらいいと思っている。自然栽培で作ることのできる品種の作出こそ、これからの課題だと思う。話では根府川の試験場には大木になった親木があるらしい。
昨日の自給作業:ミカンもぎ2時間 累計時間:13時間