小田原市久野和留沢
小田原にも和留沢開拓の集落がある。戦後開拓の村だ。それは素晴らしい地域の誇りだと思っている。現在13戸が残って頑張っている。私も開拓を30代にしたから、開拓民の末席にいうようなつもりである。入れてはもらえていないだろうが、そんなつもりだけはある。人生で開拓暮しを体験できることほど素晴らしい生き方は無い。和留沢の人たちにそんなことを言えば、アマちゃんが何を言うかときっと怒られるだろう。開拓はそれほど厳しいものだからだ。私の場合は、楽しい開拓入門というような具合に見られてしまうだろう。自分の根底の開拓民意識は、生きて行く支えになっている。山北にも開拓の集落があった。独特の底の抜けた明るい雰囲気があった。和留沢の方々も同様の開けたものを感じる。舟原のように、400年も前から暮らして来たという集落の重さとは違う。よそ者の私には、和留沢の人の方が、近しい様な気分がある。分かっちゃないなと、きっと怒られるだろうが。
昨日は、和留沢で荒れ地の整備をした。40名ぐらいの大きな作業になった。7反という広さである。草刈り機を持って集合というから、草刈り機2台を持参で出かけたのだが、草刈り機の仕事というより、チェーンソ―の仕事であった。慌てて戻って再度チェーンソウ持参ででなおしした。出直しても現地まで往復15分位のところだ。ミズキなどは30センチぐらいの太さになっていた。そんな木だけで、20本はある。その他檜などは40センチくらいのものが、60本はあった。一番大きな木は80センチくらいのヒノキで、まさにシンボルツリーである。奥には沢がある。沢から水が引いてきてあった。水のあるとは何と贅沢な場所か。傾斜地ではあるが、畑が出来るくらいの南傾斜地で最高の土地だ。標高が400メートル近くあるから、小田原とはいくらか気候が違うようだ。お茶だと、2週遅れになると言われていた。お茶畑にするのも良いだろう。良いお茶がとれると思う。もちろん畑なら何でもできそうだ。夏場の高原野菜が出来そうだ。
あの大きな檜には、ツリ―ハウスを作りたい。海まで遠望できる素晴らしいツリ―ハウスになりそうだ。何しろウッドビルダーが参加している。ツリ―ハウス作ったこともあるそうだ。そうしたら岩越さんも作ったことがあるそうだ。これなら、百人力である。なにしろまず面白くしいことが第一である。大勢の人が集まるようになれば、この素晴らしい場所をどのように生かすか。自ずと道は見えてくるはずだ。と言っても和留沢地域の人たちの思いが一番大切である。突然大勢の人が押し寄せたのでは、落ち着かないことだろう。ゆっくりと暮らしている人たちのペースで、進んでゆく必要がある。舟原で私の家の下で住宅販売が行われた。1軒の大きなお宅が、6軒になった。舟原の誰もが売れる訳がないと言っていた。あっという間に5軒が売れて、すでに建てられている。地域の人の見ている目と、外部の見る目とは違うということを痛感した。
和留沢は小田原の宝である。開拓が行われた時には想像だにしなかったように、周辺の状況が変わった。東京や横浜まで含めての宝である。東京から一時間の場所で、これだけの自然環境の地域は他にはない。実はこういうことを書くのをためらっていた。この地の特別な良さを知った誰かが、押しかけるのではないかという不安である。今回は小田原市の主導する事業として進んでいる。これこそ市民との協働ということだと思っている。行政には新しい事業に取り組むお金は無い。しかし、行政には公共性とか、一個人の利益誘導しないとか、客観性を保つとか。そういう歯止めがある。ここで誰かが一儲けしようなどということで、金権主義におかされる畏れが減った。純粋な思いが反映される場が担保されれば、心ある人が集まってくる。何より重要な原点である。私は環境集落を提唱したい。エネルギーから食糧まで自給自足で暮らす場所である。循環する暮らしのモデル地域である。