経済の展望
いまだ景気が低迷しているとか、景気回復にデフレ対策とか、政府の経済政策に期待する声がある。そんな期待をしたところで、まったく意味がない。日本の戦後の経済成長は、今の中国と同じことである。極端に安い労働力と、それなりの工業生産力を持って世界の市場で有利に、立ちまわった。国民の生活水準も今の中国と同じように、月収2万円くらいで何とか生活をした。贅沢などしないで、精一杯の暮らしをして、生活水準の向上に躍起になった。そうして、這い上がるように先進欧米諸国の生活に追いついた。限界点である。欧米諸国がまさにそうである。後進諸国の犠牲の上に、自分たちだけが一段豊かに暮らそうということが、そもそもおかしいのだ。必ず、低賃金で頑張る国が登場して、一定の水準に達する。地球の資源はほぼ今までの先進国が、使いやすいところは、使い切った。これからの競争は一段と厳しい。
そうして、中国やアフリカ諸国が、賃金的にも横並びになる。日本がどこに経済成長をする余地があるというのだろう。今の水準を保つだけで、よほどの努力が必要である。これをさらに景気を良くしろとか、今の状態を不景気と考えること自体が、おかしなことなのだ。あえて今更、何度も何度もこういうことを書くのは、現状を不景気と考えて、対応しようとする政府の愚かさが、事を深刻にすると思われるからだ。国民も現状を把握を早くすること。教育の無償化もいい。子供手当もいい、農家の戸別補償もいい。高速道路の無料化もいい。老人医療の無償化もいい。それなら、税金を上げるしかない。何か今までやってきた政策を止めるしかない。もう政府に全く余裕がない。相変わらず高度成長期の、国債でも大量発行して、貨幣価値が下がれば大もうけだとはいかない。
では日本がだめかと言えば、これほど可能性のある国は少ない。豊かに暮らせる条件は目の前にある。この国土の豊かさである。その気になれば、充分食べるものはある。これだけでもどれだけ幸せな国であるか。あとは、豊かさに対する考え方の方向転換である。人間の豊かさとは、物であふれた豊かさではない。深く人生を味わう豊かさである。同じ花を見ても、どれだけその美しさを深く感じられ、楽しめるか。同じお米を食べても、そのおいしさをどれほど味わうことが出来るのか。知らない様々を知る喜び。人の温かさに触れるうれしさ。安心して暮らせるというのは、必ずしもお金のかかる設備が整うことではない。老後の安心でも、お金があれば買えるというものではない。本来なら、地域でお年寄りを含めて暮らせるような、仕組みがいるのだろう。
方角を変えなければならない。舵を切らなければならない。民主党に舵を変えたつもりが、相も変わらず、古臭い経済成長論理ですべてを解決すると考えているように見える。世界情勢に対する認識の転換がない。これでは、どこまで行っても不足感にさいなまれるだろう。日本人のいまの暮らしで十分である。というところから、考えるべきだ。今の日本をどれほど味会うことが出来るか。そうして配分の平等化を測る。徐々に全体は衰退するだろうが、日本人の能力、条件からしてほどほどのところでは止まることは間違いない。今以上の経済成長と考えないで、どう現状を納めるかと考えなければならない。それは政府がまず考えを変えなければならないのだが、すべての日本人にとっても同じことである。今の条件の中で、どのような豊かな暮らしを目指すか。