一日2食
最近夕飯を食べないことが、ままある。と言って体重が減少したということも無い。先日、一緒に松本まで見学に行ったとき、朝食は食べないという人がいてびっくりした。それで午前中農作業が出来るのだろうかと、聞いてみたが問題ないということであった。人それぞれの食習慣がある。昔の日本人は、日に2食であったと聞いたことがある。僧侶の夕食は薬席と言って、夕食はないことになっている。薬という,まあごまかしである。それで一番たっぷり、中には般若湯まで飲む。午前中しか食べないというのは、川口慧海の『西蔵旅行記』のなかに書かれている。明治時代には、まだ2食の習慣が現存していた。日に2食の方がいいと主張したい訳ではない。ただ、空腹でない時は食べない。こういう風にしている。だんだん年をとってきたら、食が細くなってくる。運動量も減る。それに従って食事をしたいと思う。
まず、この空腹というのをどう見たらいいかである。食事は時間にしたがって食べる。習慣性が強いものである。子供のころは、時間になれば席について、いただきますと一斉に言って食べる事になっていた。その習慣が残っていて、なんとなく時間になると食べないとならないような錯覚がある。それを止めた。無理に食べるということを止めた。食事の途中でも、もういいと思えばやめてしまう。もったいないと思うが、もったいないからお腹に詰め込むというのも、さらに良くないと考えるようになった。自分の身体のシグナルに従った方がいいと考えている。体重は良く測る。2キロぐらいは動いている。それ以上大きな変化はないようである。夏になると会う人に良く痩せたと言われるが、それは日に焼けて黒くなるからである。
空腹というものは大切だ。お腹が減ったという感じを味わってから食べるということである。都合や手順で食べない。もちろん大体は、時間が来ると空腹感が出てくる。この空腹感が結構曲者で、パブロフの犬である。朝だから朝食で、お腹が減る感じがある。これを、本当の空腹を確認してから食べたいと考えた。空腹感を3回感じて見る。1回目の空腹感は、胃が締め付けられるような、何か液が湧くような空腹感。しばらくすると無くなる。そのまま空腹感が無ければ、食べない。大抵の場合はしばらくすると、2回目の空腹感がわいてくる。まだ食べないでいると空腹感は消える。そして3回目の空腹感は大抵はすぐ来て、すっきりしたものである。お腹が本当に空になって、何かを食べたいという状態で、食べる。それを繰り返してみたら、だんだん本当にお腹がすくようになった。いままでの空腹は、空腹の気がしていただけだった。
お腹がすいたら食べるように、2年ほど前からした。3回目の空腹感が湧いてこないので、夕食を食べないことがままあるようになった。食べなくても何も変わらない。これでいいのなら、この方が理にかなっていると考えて、食べないこともある。食べる日の方が多いが、どちらかと言えば、食事の量は少ない方だろう。甲田先生の影響もある。自然療法の信念があるという訳ではないが、食べるときには、食べたいという気持ちに従い、充分の一歩手前あたりでやめたい。それが適量であると考えた。お腹いっぱいまでは食べない。もう少し食べられるぐらいで、止める事にした。いつの間にか、自分の適量が定まってきた。自分の食欲が適量に従い、体重の特別の増減も無い、こういう状態でありたい。