多文明共存時代の農業

   


「多文明共存時代の農業」高谷好一著(農文協)地質学を学んだ人による、世界の農業史である。京都大学の東南アジアセンターの名誉教授。新しい農業の歴史が、特にアジアの視点から、わかりやすく書かれている。アジア各地の現地調査を深く行なっている。そこに滋賀県で育った日本人の視点がある。高校時代学んだ、ヨーロッパは狩猟民族、アジアは農耕民族というような大雑把な意味のない民族の位置づけから、具体的な農業史の実像に転換がはかられている。誠にスッキリする本である。高校の頃、何故、ヨーロパを狩猟民族などというのか。歴史の先生に質問して以来の喉のつかえが取れたような思いである。1、麦羊農業2、ミレット農業3、根菜農業4、新大陸農業の4つに農業の起源を分析する。そして、販売のための農業と、自給のための農業を対立する概念としてとらえる。結論として、農業は地域の生態系に適応した、伝統農業を見直してゆかなければならないとする。

高谷氏はこの本の原稿を農文協に出版して欲しいと持ち込んだらしい。素晴しい企画が生れたと思う。著者の思いは「農業というのは本来、そこの生態環境に適応して行われるべきものです。しかも、なるだけ小さい範囲で自給自足的に進められるべきものです。しかし、現在では輸出用作物の大規模な単作の拡散などで、それが大きく歪められています。これは地球の生態と人間社会を破壊させる危険があるものです。本来のあるべき農業がいかに安全なものであるのか、それに対して、儲け一本槍の単作がいかに危険なものであるかを、世界的な視野をも含めて論じます。」このメッセージに込められている。また、稲作というものにも三つの種類があり、日本型の灌漑、田植え方の特徴と意味が分析されている。学問という物は問題意識があってこそ深まると言う事が分かる。

世界の農業が、そして人類がどうすれば次の世界で生き残れるのかを、実際の暮らし方から問題にしている人のようだ。もやいとという活動があり、高谷氏の発想が良く理解できる。プランテーション農業がいかに世界を破壊しつくしたか。人間の暮らしを崩壊して行ったか。環境に適応する農業というものが、多様で個別的で、そして共同してゆく形のそれぞれのあり方。個別性の重視。多様な変化にこそ、環境に対応した文明が存在できる。欧米型の経済優先の単一的価値観が、世界を行き詰まらせている。どのようにすれば、地域が循環して行く、環境適応型の農業文明に戻る事が出来るか。僅かに残っている、世界の農業文明をどのように再生させてゆけるか。大きなヒントが詰まっている本である。

今全国で生れている、新しい農業を模索する人の必読書である。地域に僅かに残る慣習の中に、貴重なヒントがある。地域に対する思いの中に、日本人がはぐくんで来た暮らしのあり方がある。その地域にある何かを、どのように考えればいいのかを、整理してくれる本である。すでにすべてが失われたような、農業の状況である。しかし、日本が再生するためには、小さな個人の農業を整えてゆく意味の確認が、不可欠である。方角が正しければ、もやいによって必ず船団として結ばれ、次第に整うはずである。今、起こっている姿は、あまりに小さく個別的であるため、一見すると何が起きてきているのかは、見えないかもしれない。小さく完結することの重要性が、文明としての意味が見えてくるはずである。そうしたとき初めて、個別のまま、舫う意味が理解されるだろう。

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