家畜伝染病予防法の問題点
昭和26年に施行された法律である。現代の防疫体制、獣医学の進展、巨大化した畜産の状況から言えば、あまりに実状にそぐわない法律である。口蹄疫ワクチンなどというものがない時代の発想である。農家の庭先で畜産が行われている、戦後の状況の中で、戦前の思想のままに作られた法律である。他にもそうした法律は多いいわけだが。ハンセンシ病の隔離政策例でも分かるように、前近代的な思想に基づいている。当時の社会状況を想像するに、狂犬病の流行から起きた心理的影響もあったのではないか。現代ではエイズの日本での登場のとき起きた社会的パニック反応が思い出される。今回、宮崎で起きている口蹄疫の対策はこの法律の不備から混乱が始まっている。殺処分は何故行われるのか。何故、県所有の種牛の延命がはかられたのか。さらに移動禁止と、食肉処理場の位置関係での特例。
殺処分は伝染病の感染の広がりを防ぐ方法の一つである。人間なら、あくまで一時的隔離である。口蹄疫が恐いのは病気として怖いと言うより、産業としての畜産を崩壊させるから恐いのである。殺処分と言う手法が、家畜を治療すると言う予防医学的方法を発展させなかった。殺処分が一番安上がりな方法なのだ。それで各国で行われている。口蹄疫でも、トリインフルエンザでも、ワクチンは不完全である。人間のワクチンでも不完全だが、もっと明確に充分なものでない。製薬会社が、より増しなワクチンを開発する気に成れないのは、殺処分が法で義務ずけられているからである。病気を発病した家畜を殺処分する事は分かりやすい。ではその周辺で、血液を調べても経過を見ても、感染していない牛を何故殺処分する意味があるかだ。今の5頭の種牛の場合。あるいは殺処分されると言う、49頭の種牛についてだ。
種牛とその他の食肉用の牛とは意味が違う。食肉用の場合は殺処分と言っても、早くその時が来たというだけである。極端に言えば、採算性さえあえば同じともいえる。しかし、種牛は意味が異なる。冷凍精液の販売が種牛の目的で、引退後も優秀な牛は飼い続けられていることが多い。競走馬の名馬が老後を牧場で暮らすのと似ている。そこで種牛の場合完全な隔離さえ行えれば、飼い続けても問題はないという発想がでてくる。そもそも閉じ込められて飼われている。やろうと思えば人間以上に完全な隔離は出来るのである。しかし、法律ではそうした一切の例外はない。よく読めば拡大解釈で、特例処置も出来るようではあるが、専門家で無い正確な点はわからない。清浄国という問題がある。どこかで、ワクチンを打った牛が生きている間は、どう隔離したとしても感染国という判断になる。
清浄国でなければ輸出できない。輸出が大きなものでないにしても、清浄国で無いという理由で今まで輸入を禁止してきた手前がある。こうした輸入制限措置が、国内畜産の保護と連携してたものとして運用されてきた。BSEと同じことである。アメリカの牛肉を締め出せば、日本国内の畜産は利益が出る。BSEに対する科学的対応より、関税外障壁のような形で対応してきた節がある。いままでの各国に対する輸入禁止の対応と一貫性がなければならない。これが日本が口蹄疫ワクチンに対して、どのような対応をとるかに影響がでてくる。ワクチンを打った牛が食べられない訳ではない。食べてはいけない事にしているだけだ。こうした様々な矛盾の中で、種牛は理不尽にも殺される。国は古臭い実態に合わない法律しがみついている。この教訓として法律を変える事だ。こうした中、国会では「口蹄疫対策特別措置法案」が全会一致で決まった。国や都道府県が殺処分を管理しようと言う逆行である。畜産は集積しないこと。食べ物は輸出入はしないこと。
昨日の自給作業:アマランサス種蒔き。草刈3時間 累計時間:30時間