定年帰農
現代農業が流行らせた言葉である。おかしなことをいうものだと、変に気になっていた言葉だ。所がこの言葉の理解の仕方が間違っていた事に最近気がついた。都会で勤めをしていた人が、会社を定年になって退社する。どこか田舎を探して農業を始める。と言うようなことかと思っていた。帰農と言う言葉から、陶淵明の歸去來兮・田園將蕪胡不歸を連想していた。どうもこれが大きな間違えであったようだ。定年帰農とは、農家の息子さんが一定の年齢になって、本格的に農業に戻ると言う事だったようだ。つい自分が、新規就農者だったもので、同類の事ばかり考えていた。しかし、大半の帰農者候補は農家の息子さんであった。大学の頃の友人の多くが農家の息子だった。昨日は田植えで大変だった。などと話していたのだ。今年は一等米だよ自慢顔で言っていたのを思い出す。彼らの殆どが地元で教員になった。そして、そろそろ定年である。「定まった時にいたり、農業に帰る。」
友人から最近そういう手紙をもらった。うっかりしていたが、考えてみたら当然の事だった。そもそも彼らは本格的な農業者だった。大学に来ていても、農業から離れたことはなかった。教員になっても農業を続けていた。そして、定年になってもそのまま農業をする。こう言うライフスタイルがあるのだ。公務員になった友人もいたが、これも同じで農業を何とか続けていた。当時の地方の国立大学は、そういう地域密着と言うか、お金が無いが大学に行こうと言う人間が集まっていた。現金収入がまったくなくても、家から農業をしながら通うなど、充分可能な選択だった。そういえば彼らは家庭教師もしていた。彼らというのは、女性の知り合いなどまるでいなかったので、彼らの事しか知らない訳だが、女性でも農業者という人がいたのかも知れない。大学制度は昔の方が良かった好例である。大学に行くには家から持ち出すお金は要らなかった。
多くの友人が農業に帰る。と言ってもたぶん農地を広げる訳でもなく、今までどおりの農業をやるのだろう。貸していた田んぼを返してもらうと言うのはあるかも知れない。そういう団塊の世代の人間が、これからの農業の担い手のかなりの比率を占めるだろう。会社勤めで、疲れ切った都会人が農業を始める。これは無理な事である。農業はそんなに甘くない。元気な若者が始めてもなかなか成り立たない職業である。そこで、「半農半X」と言うような不思議な言葉が生れている訳だ。大体の場合こういうスタンスは、両者が共倒れになる。半分の農だから、半分で済むかというと、生半可と言う事になりがちだ。「全農全X」でないと無理なのだ。両方手抜きでなく、両方精一杯。それが出来るのが、農家の長男の定年帰農かもしれない。
三ちゃん農業と言う言葉の方は今は忘れられた。じいちゃん、ばあーちゃん、かあーちゃん、農業。父ちゃんは出稼ぎだったり、役場づとめだったり。農家が崩れ始めていることを意味した、悪口のようなものだったはずだが、なんとものどかな響きがある。もう一回、じいちゃんばあちゃん農業悪くない。たぶん、農家育ちのじいちゃんで、農業を支えつづけた家にかあーちゃんがいれば、相当のものである。そう思うのは、身体の出来が違うのだ。大学に来た時はもうおっさんばかりだった。百姓の身体をしていた。大げさに言えば、朝青龍のような土台の逞しさが宿っていた。彼らなら、長年の宮勤めでも我体が崩れていないだろう。まったく会いたいものだ。あのころ、絵を描いて困ったら家に来いよ。食べるぐらいの田んぼはあるからそういってくれた。きっと今ごろ田植えで泥まみれに違いない。