ワクチンと免疫
口蹄疫ではワクチンをウイルス濃度の低減の為に使うことになった。殺処分を待つ間、ウイルスを抑制する事が出来ると報道では書いたものがある。テレビで専門家らしき方もそう発言していた。ワクチンと言うと、特定のウイルスに対して、免疫を作るための感染予防的に使われるのが普通である。感染を既にしている場合、発症を防ぐためにワクチンを使用し、効果があるという考え方。本当にこう言う事が有効なのであろうか。疾病小委員会の専門委員が決めたことだから、間違えとは思いたくないが、どうも腑に落ちないところがある。免疫という物は、生き物なら大抵のものが、自然に備えている機能である。この機能を人工的に行うのがワクチンである。既に感染している牛にワクチンを打ったところで、意味がないはずである。たぶん情報が交錯している。ここで言うワクチンの効果は、殺処分を待つ家畜にまず、ワクチンを打つ。そして待機中の感染を防ぐ。こう言う意味ではないだろうか。
しかし、科学的に考えればこれもおかしい。埋めてしまうなら食糧にしてしまったらどうだろう。食べても安全だと、繰り返し述べている訳だ。無駄な事はすることはない。感染もしていない種牛を殺処分するなど、丸で意味がない。血液検査をしてそのまま飼い続けるべきだ。種牛を殺処分するのは、正に風評被害そのものだ。生き物を無意味に殺す事は行ってはならない。今回の事でも、経済の事が優先されている。宮崎ブランド全体のイメージダウンを避けたいと言う思い。清浄国である認定の後れの不安。肉の輸出が出来なくなる対策。経済的対策でワクチン使用の判断が揺れ動いている。商売でやっているのだから、当然である。と言う声が聞こえるが、家畜は物ではない。生命を粗末に扱ってはならない。
免疫機能は植物にもある。MOA大仁農場の木嶋先生は拮抗微生物の免疫作用を主張されている。植物免疫と言う考えの先駆者である。最近になって奈良先端大学の研究成果でも、同じことが確認されたと言う。しかし、江戸時代から農家は踏み込み温床を行ってきた。苗を作るときに、踏み込み温床と言う微生物が充満した環境で作る苗が丈夫であると言うことを、体験的に知っていた。私の提唱する自然養鶏でも、この考えに基づいている。雛をいわば踏み込み温床の上で育てるのである。小さい時から、菌の充満した中で育つ雛。育ちながら感染し、免疫力を高めてゆく。こうしてえた免疫力は、特定のウイルスという特別な免疫ではないが、ごく普通にある病原菌に対しては、ワクチンとは違う免疫力を確立する。その結果一切の薬剤を使わない自然養鶏が可能になっている。
宮崎での口蹄疫では殺処分対象が、県内の家畜数の4頭に1頭になった。と言う事は、宮崎県では人口に近い数の家畜が存在し、その4分の1を殺処分する。まったく怖ろしいようなことだ。牛が注目されているが、豚は58万頭と数が多い。これが鶏だと432万羽となる。正に畜産県である。今回の事でも、経済的合理性から産地形成を行うと言う考え方を見直す必要を感じる。むしろ、地域地域で分散して、適正規模で家畜は飼うべきものだ。ただでさえ地方の産業は衰退している。畜産に力を入れて、集中して行おうと言う事になるのは、わからないではないが。リスクも高まるのである。今回の反省が、予防的殺菌という所に行くだろう。そうした方向は進めば進むほど、リスクが高まる。今回のウイルスも、宮崎に登場した時には、前回より感染力がぐんと増していた。家畜を飼うと言う意味をもう一度見直さなければならない。