続けて知り合いが亡くなる。

   

佐藤さんの死は先日書いた。その後、まさに連続的に知り合いがなくなっている。隣の隣の家一寸木良三さんがなくなる。同じ舟原の田んぼの傍の下田さんがなくなる。そして、田中ひろみさん。さらに、岡本俊策さん。一寸木さんが確か72歳で、他の方はさらにぐんと若く。岡本さんは佐藤さんと同じく40代である。何という理不尽かと、悲しい。辛い。何しろ皆さん地域で一緒に頑張っている方々だ。どうしてもこうも一辺にこんなに早く、行ってしまうのかと、残念でならない。人間はいつかは死ぬ。諦めるしかない事だが。こうも続くと打ちのめされた気持ちになる。岡本俊策さんとは、10年ほど前市民活動応援補助金の事で出合った。とても穏かで、理路整然とされていて、頼りになる人だった。山の仲間たちという活動をされていた。様々な場面で出会うことが多く、市民活動の仲間という連帯感があった。

最近は久野の里地里山活動で、山の仲間たちには手助けしてもらうことが多い。久野幹線林道の清掃活動。久野川の環境調査。川沿いの茂りすぎた林の伐採。とても頼りになる実戦部隊として、活躍してくれている。つい最近も欠ノ上の大木の伐採では、高い所に登ってくれて、さすが登山家だと思ったものだ。一見どちらかといえば、冷静な知識人と言う感じが、本領というか素晴しい働きで、さすがだと思った。一緒に登った人の話ではとても慎重で、安全対策が万全な人だとの評価だった。それが、まさか、富士山の訓練登山中の事故とは、驚くばかりである。マッキンリーに行くための準備だったようだ。富士山を甘く見るような人ではないし、今年は富士山には気象的な激変があるようだ。富士山の突風は遮るものがないだけに、激烈なようだ。それにしても、残念である。同志を失った無念がある。これから小田原周辺の森林に本腰を入れるところだ。その中心を担うはずの人を失ってしまった。森の仲間たちの打撃は大きいものがあるだろう。

下田さんも一寸木さんも久野に越してきて以来、とても親切に接してくれた。優しい面倒見のいい方だった。舟原地域にとっては、あまりに大きい損出となってしまった。私のように他所から来たものが、地域の中で養鶏農家として良い形で入れてもらえたのは、見えない形で新参者に分からない所をフォローしてくれる人が居たから、と言う事を良く分かっている。下田さんに助けていただいたことも、良三さんに助けていただいたことも、後から知った。何も恩返しも出来ない内に、亡くなられてしまった。田んぼを村内で始めてからは、より地域の農家のかかわりの深さをしった。見えない所で、支えあってこそ地域の農業は成り立つと言う事が分かり始めた。

田中ひろみさんもまだまだ若かった。久野全体を引っ張ってゆくべき農業者であった。農業関連の地域作業所の立ち上げを考えた時に、相談に乗ってくれた。農地を借りる世話もしてくれた。人の生き死にの無常を思い知らされる。こうして自分より若い人が、普通になくなっていってしまう。死というものが、他人事ではない。実感を持って我がこととして思わざる得ない。今年の稲作は、直播はなどと思って計画しているが、先々の事より、今の事を十分にやれているか。最近自転車操業というより、オートバイ操業だなと思った。自転車はゆっくり自分でこいでいる。何か、疾走しているオートバイ乗りのようなものだ。ただ車体のしがみついているのか。運転しているのか。いずれ止まれば転ぶ。

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