有機農業の現状
有機農業はその精神的というか宗教的な初期段階を第一期。それに連なる消費者中心に提携運動として展開された第二期。そして私のような、新規就農者を中心にした、脱都市生活的傾向の第3期。現在となると、一まとめは難しいのだが、地域主義との整合性を求めている第4期と言えるのではないだろうか。過去の分析や総括は、改めて行わなくてはならない事だが、現在の地産地消といわれる農業の方向の中で、有機農業がどのように、存在してゆくかが現代的課題だと考えている。農薬や化学肥料の問題点が、直接被害の告発段階から、循環型社会の中で自分自身の問題としてとらえなければならない事になっている。1、循環可能な社会とはどんな社会なのか。2、循環可能な社会での農業の位置づけはどういうものになるのか。3、そのとき全ての農業が有機農業となることが、望ましく又可能なことなのか。
循環する社会とは、裏返せば拡大再生産しない社会である。拡大することで、維持される社会は必ず行き詰まる。生産は安定する事が目標となる。科学とか、思想とか、芸術とか、の分野で、その総合する暮らしの深まりを意味する社会。農業生産というものが、必要最小限の所で安定することが出来るかが、大前提となるだろう。この点を社会はまだ認識していない。競争とか能力主義とかが好ましい争いとされているうちは本当の循環する社会は無理な事だろう。果たして人間に行き着けるところなのか、単なる理想主義なのか。有機農業においては、価格や生産性が営業競争としてより強く意識されるように成ってきている。この点で、第4段階に入って後退が著しい所である。有機農業も営業の中で成立する事が、当たり前の事となった、JAS認証の時代。有機農業がJAS基準内の安全な食糧の供給という狭い範囲の思想になっていやしないか。
一方で、農業生産の地域主義が主張される。農業地域主義は、環境問題や就労の問題とも関連して多くの地域で注目されている。ここでの環境問題は有機農業と現段階では、上手く連携が出来ているとは言えない。水田環境が地域全体の環境に重要であるという認識は広がっているが、畑作や果樹が耕作放棄地に較べて、環境にいいのかどうかは議論の分かれるところだろう。多分両面があるのだろう。人口林が自然であるかの問題と似ている。地域の経済のあり方のどこに農業が位置づけられるのか。これは定まっていないが期待はされている。農業が循環する社会の、要の位置に存在する事を、繰り返し意識する必要がある。テレビや車は3日なくてもいいが、食べ物が3日なければ社会は崩壊する。循環する社会にとって、最低限必要な基幹産業が農業である確認。その農業生産において一番必要なものが、生産者である。企業社会の落ちこぼれの吸収分野が現状の認識。
有機農業では提携とTEIKEIがとても重要な位置づけであるのは、過去もそうだったし、現状でもそうだ。しかし、同じ提携でも内容はかなり違ってきている。それは、4つの発展段階に分かれるように枠組みが変る事で提携の内容は変化する。現状では、地域の循環の中で提携がどう位置づけられるかの模索が重要課題である。消費者と生産者が存在する情況は地域で循環する提携ではない。循環するためには、消費者の存在しない世界が、必要である。作る者も食べる者も、同じ地平に立つ事。一方に台頭する企業的有機農業との関係。ここに地域JASの必要が強まっている。ここでの基準は安全な食べ物と言う枠が、地球全体を見渡した、長い将来まで見た各地域の循環の確立を見据えた哲学基準にならなくてはならない。そのとき重要になるのが農の会が行ってきている、作り出そうとしている、農業にとどまらない暮らし全般の、市民として同じ地平に立つ努力だと考えている。
昨日の自給作業:野菜種蒔きなど実は3日分6時間書き忘れ。 累計時間:7時間