日本の青空Ⅱ
「いのちの山河~日本の青空Ⅱ」が上映された。小田原の市民会館大ホールが満席であった。2部構成で上映会が行われたので、すごい数の人が、この映画を見たことになる。なかなか上質な映画だった。「貧困・医療・豪雪」今も少しも変わらない課題である。この今に続く大きな課題に正面から取り組んだ、岩手県沢内村の50年前の物語である。1961年日本で始めて、老人医療を無料化した村。このことは当時も大きく報道されたので、記憶に残っている。それじゃー病院の待合室が年寄りの集会場になる。というのが大人たちの声であった。病院に行くというのが、山梨県の山村では、一種のリクレーション気分が伴っていたからである。今は沢内村はない。2005年町村合併に伴い、西和賀町となった。1973年に、老人医療は全国的に無料になる。しかし、1983年に成ると、老人医療の全国的な無料化は終わりとなる。
社会の方角が、ゆれている事が良く見える。無料化といえば、今変ろうとしているのが、高校教育の無料化である。子供手当ても同じ発想であろう。老人医療の方は、後期高齢者医療制度という有料制度である。こうした問題は税の使い道である。国債を発行して、借金してでも子供を大切にしよう。教育を重視しようと言う判断が、国民の方角なのだろう。個人的に言えば教育について、一生を通してほとんどお金を払わないできた。それは、宗教の補助を受けたことと、国の補助を受けたことになる。自分のアルバイトで暮らしながら何とか教育を受けられる範囲であった。フランスにおいてまで、2年半の間授業料もなく美術教育を受けさせてもらった。それに相応しい結果を残しているかどうか、怪しいものではあるが、気持ちとしては、次世代にお返しをしなければならないと考えている。
この映画で一番興味のある所は、地域での合意の形成方法である。広報活動、対話集会、婦人会の結成。行政が出向いて、歩き回り、地域の合意を作り上げてゆく。大正デモクラシーを背景にする、地域自治の思想が色濃く反映している。沢内村に生きる誇りを作り上げてゆく姿。自分が暮す小田原のことと、想念が行き来した。市民力の掘り起こしは、どうすればいいのだろうか。昭和20年代の各地で動き出した、民主主義的地域活動。今あの動きはどこにあるのだろう。境川村でも盛んな青年団活動があった。市民という存在が、企業活動に奪われている。高度な生活を維持するための高収入確保。市民が地域住民である前に、外部の経済活動に翻弄される存在である。例え農業者であったとしても、地域農業の枠内で発想していたのでは、人並みの暮らしが成り立たない状態。
青空は見えるのか、かつて青空が晴れ渡った時代があったのかという思い。ノスタルジーではないが、未来のあった時代。人間が暮すこと、暮らしを深める事、こう言う事から日々がどんどん離れててしまう環境。理想を持って生きると言うことは多分いつの時代も、同じに困難であろう。沢内村村長深澤晟雄氏は理想を求め、貧困と戦おうとして、59歳で亡くなる。いまや、全国の沢内村では暮らしが立たなくなり、消滅して行く。沢内村も当時の6,713人から、3割ぐらいになっている。山村は貧困は克服どころか、村落の終焉が続いている。日本人がどう暮らしていくのかが、見つからないで居る。医療の無料化どころか、地方病院の経営が出来なくなっている。小田原での上映会を見逃した人は、二宮町ラディアンホールに、5月8日(土)又来る事になっている。