トキ襲われて死ぬ

   

ケージの中でトキ9羽が襲われて死んだ。あってはならない事故である。哀しい日本人の劣化の表れである。トキは日本の特別天然記念物である。一度絶滅させてしまい、山西省に生き残っていたトキを、中国の好意で分けて頂いた鳥である。ケージに穴があいていて、そこから動物が進入したらしい。丹頂鶴やコウノトリの保全活動に較べて、一昨年の放鳥の失敗。箱から猟のための雉を放鳥するのと同じように行った為に、群れを作らずバラバラになってしまいペアリングができなかった。昨年はこの点では、成功したかに見えたが、今年は、なんと馴化ケージに動物が侵入した。前日の午後6時に進入された所が監視カメラにはあるそうだ。気がついたのが、翌朝8時と報道にはある。80メートル、縦50メートルのケージである。立派なもので、われわれの鶏小屋とはそもそもが違う。器作って魂は入らず。不注意な人間が管理していたのでは、こうした事故は繰り返されるだろう。

そもそも、僅かに生き残っていたトキの飼い方が不充分に見えた。鳥と語れるような人がやらなければ無理だとおもって、主張もした。仕事の範囲で飼っていたのでは、絶滅するだろうと思った。思ったとおりにやはり絶滅した。今度は中国から、トキをいただいた。あのレベルの飼育技術で大丈夫なのかと、心配していた。やはり一度は死なせてしまった。一度で懲りずに再度分けて頂いた。そしてやっと増殖して放鳥にまで到った。中国にもお返しが出来た。しかし、相変わらずの視野の狭さである。鳥が死ぬのは、病気ではなく事故が大半なのだ。思わぬところで事故は起こる。あらゆる事故を想定して、対策は前もってやらなくてはならない。気になるのは檻に穴を開けられたと言う事だ。電気柵がなかったのか。私も人の事は言える鳥飼のレベルではないが、佐渡とき保護センターの職員よりはましである。研究者でなく、密漁をするような鷹飼いの人に任せたら良い。

保護センターの職員が熱心でないという意味ではない。たぶん、普通に仕事はしているのだろう。そのレベルではだめだ。お役所仕事とは言いたくないが、心が入っていないのではないか。パンダ幼稚園を見ていると、中国の飼育は素晴しい。飼育員がパンダになりきっている。実に微妙な変化を読み取る。観察力の違い。生き物を飼える人というものが居る。だめな人はいくら教えてもだめである。ものを見る目というのは、多分5,6歳までに作られるのだろう。人間は保護された生き物だから、鈍くなっているが、野生の生き物ならその頃までに獲得しなければならない感覚が、山ほどある。それを身に付けられないものは、淘汰されてゆく。大半の人間はこの野性の感覚を失っているが、たまたまそういう微妙な臭いをかぎ分けるような、人が居る。中国のパンダ飼育は、そういう微妙なワザを、技術として確立してきている所だ。

日本が江戸時代を確立できた事のすごさの背景には、循環して暮らしてゆく知恵の膨大な蓄積があった。それは庶民の隅々にまで浸透していた。その蓄積があったからこそ、日本鶏18種の天然記念物が作出された。今、尾長鶏を声良鶏を作出できる人間は居ない。江戸時代のこうした素晴しい日本人の能力は、後れたもの、前近代的なものという位置づけで、消えていった。自然を見つめて、そこから学ぶ技術。これが自然を超越して、人工的に作り変える技術。西欧的技術に置き換えられた。僅かに日本人の中に残っていた、ものを見る目が、いよいよ失われてきている。ああ外国人のようになったという感じである。絵を描く人間なので、時々しげしげと人の顔を見る事がある。フランス人はいくら見ても、見ている事に気がつかない。中国人は今でも直ぐビクッと反応する。昔の日本人と同じだ。

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