有機農業モデルタウン
小田原有機の里づくり協議会で昨日は関東農政局からの事業進捗状況の調査指導に2名の方が見えた。モデルタウン事業で農水省の担当の方に直接お会いするのは始めての事だった。事業仕分けの結果と、来年度の方針を伺った。担当者には全く不明であると言う事だった。この事業は5年間という期間を設け、その中で各団体が目標を定め活動を行っている。小田原の場合はその2年目に新たに加わるという形なので、4年間の活動のつもりで計画がたてられている。それが1年での中途打ち切りになりそうな状況。行政の方に対する印象は、何か気が抜けてしまったような脱落感が取り巻いているようだった。お役人にお会いすると、ちょっと人種の違うような感触があるが、今回は普通に接する事ができたので、良かったという妙な気持ちが残っている。ただ、最初にこられた車の事を訪ねたら、運転手付でないと自分たちは移動できないのだと言われた。
期間を設けて行われている事業が中途打ち切りに成るというのは、八ッ場ダムの場合と同じことだが、モデルタウン事業の場合、有機農業推進法がなくなったわけではない。お金はなくなるが、こういう推進をしてゆく。こんな話を聞きたかったのだが、そういう話はなかった。有機農業を費用対効果が低い。こう判断された。つまり民間の事業である。民間の事業を農水省として、今後どのような支援をしてゆくのか、このことが聞きたかった。本来お金などかけないでも、行政が行えることはいくらでもある。有機農業推進は意識改革が課題。有機農業は日本農業の将来どの位置づけになるのか。こう言う事を明確にすることが重要だと思う。もちろんその前に、食糧というものが、国にとってどういう位置づけのものか。ここを明確にする必要がある。それが、戸別補償を行う前に来なければ来年は戸別補償が、事業仕分けで廃止の判断になるだろう。
食糧はグローバル化すべきでない生産物である。グローバル化の全てが悪いわけではないが。食糧は各国が自給を基本にした方がいい。世界各国が食糧の生産に見合うだけの人口に、落ち着いた方が人類のためである。その意味で食糧の直接援助はあくまで緊急対策で、方向は農業支援である。各国の国状に適合した農業の環境整備を協力してゆくことが、行うべき国際協力であろう。食糧は自給するもの、他の輸出産業と天秤にかけて、損得で考えてはいけないものである。この位置づけを政府が行わなければ、戸別補償も、費用対効果が低いと言う事になるに違いない。今、オリンピック選手とか、ノーベル賞受賞者とか、政府に声の届きやすい人の発言が相次いでいる。事業仕分けの廃止で埋もれてゆくのは、声のない弱者になりがちな方式。農業の場合、黙って辞めて行くだけである。農業を始めたいという環境を作り出さない限り、食糧の自給はありえない。
国が行うべきことは、お金を出すことだけではない。大きな方針を立て、国民に向けて宣言することだろう。選挙前に較べて、民主党は声が聞こえなくなった。実に曖昧になった。批判や否定は得意のようだが、何をどう作り出すのかが、農業においては一向に見えない。マニュフェストだからという根拠で無理に行う、中途半端な戸別補償では農業を悪くするだけだ。どうすれば、将来日本が100%食糧自給の国になれるのか。これほど恵まれた自然環境がある日本に出来ない訳がない。ないのは人的資源である。有機農業モデルタウンは、農業活性化の起爆剤だと私は考えた。大切なのは小田原の農業の充実である。その意味で、国の方針、県の方針、市の方針、明確に打ち出されるのであれば、補助金などないにしても、充分有機のモデル事業は継続できる。むしろ、その方が自分達の意志が明確に成っていいと思う。