デフレ宣言
デフレと発表された。藤井財務大臣によると危機的状況と言う事である。今更ながらで、100年に一回の経済転換が起きている。デフレというのは物の価格が下がることである。消費者にはありがたい話だ。逆から見れば、お金の価値が上がる事だ。お金持ちにはありがたい話だ。そのこと自体が悪いというより、物が売れないために困ると言う事に尽きる。物が売れないから、価格を下げる。結果企業収益が下がる。賃金も下がるから社会全体が不景気になる。こういうことを言っているのだろう。こういう話は、今更であろう。経済構造の転換と言う事を一切受け入れないで、今までどおりで行けないと嘆いている。もう世界経済における、日本のかつての、優位な位置は失われ始めていると言う事である。優位な位置とは、安い賃金で、先端技術を駆使して、電化製品や自動車を大量生産して、世界に輸出する日本。
中国に世界中が注目している。大量の安い労働力。獲得し始めた高い技術力。そして、蓄積された4000年の文化的蓄積。中国の動向が世界を変え始めている。3回中国に行ったことがあるが、この変化の大きさは、日本の戦後社会の変化を超えている。このまま中国が経済大国になるとも思えないが、どこかで傾ぐにしてもその影響は世界に及ぶものに既になっている。世界が中国をすでに潰せない国にと見ている。インドも同じような優位さを持ちながら、日本のおかれた位置に滑り込んできた。日本は今までにない方角を切り開く以外ない。それは、ヨーロッパが英国病とか言われ、日本をエコノミックアニマルと揶揄した頃と同じだ。日本は日本病にかかっている。問題は病気であるにもかかわらず、その自覚を持たないで、かつての処方箋で、古い薬を使っていることである。持ち直すような兆候を探しては、一喜一憂している状態。デフレ宣言をした所で、的確な手当てが遅れれば、病は深刻化する。
的確な手当てをするためには、先ず状況判断だろう。デフレの判断。バブル崩壊後言われ続けている。物の価格が下がっている。本当であろうか。上がらないだけではないか。不当に利益を上げていたものが、下げられているだけではないか。数値的にはデフレという状況にはない。政府は物が売れないことを、デフレと表現した。何故物が売れないか。余計なものを買わないからだ。余計なものを変えない状況が続いているからだろう。要らない物をジャンジャン買って、消費生活に浸る。こう言う事の再来を願っているのだろうか。日本人の平均年齢も上がっている。人口は停滞。家は300万戸空き家だそうだ。今更、消費が上がるような要因はない。物を売らなければ、成立しない企業という存在に依存した社会ではもうだめだと言う事だ。JALが危ない。これからも世界情勢を読み違えた大企業の危機は相次ぐはずだ。
消費は美徳。こう言う社会からの離脱以外ない。日本の一時のバブルはヨーロッパのような、社会的蓄積を作り出すことはなかった。物を作ると言う事に、国家100年の大計がなかった。道路でも、病院でも、学校でも、当面の対策としての安普請が続いた。財部誠一氏の借金時計によると、今の借金は805兆5822億円だそうだ。805兆円に匹敵する資産を残しているとも思えない。デズニーランドに行って遊ぶ事が、家族の幸せである。と幻想を作る。これが消費社会。何かを生み出すことでないところに、幸せの方角を幻想させる。一人の人間が消費できる量は限界がある。そうした豊かな消費の幻影を、世界に撒き散らしたのがアメリカ文化である。それに便乗したのが日本の企業社会。そのやり方が終わったと言う事だ。日米の国民はそれに気付いて、チェンジをしたが、どこへ舵取りを向ければいいかが、見えないまま不安の中にゆれている。
昨日の自給作業:タマネギ準備、小松菜・空豆の播種、薩摩の収穫、2時間 累計時間:33時間