学級崩壊

   

小田原でも授業が成り立たない学校が結構あるそうだ。先日ある高校で食農教育を担当されている、先生のお話を伺う機会があった。昨日の食事は何でしたか。こう言う質問に、何とアイスクリーム2本と答える生徒がいるそうだ。この場合崩壊しているのは、学級だけでなく家庭崩壊である。子ども達を取り巻く食の環境は深刻なところにある。読み書きそろばんの前に、食の建て直しが必要なようだ。戦後の食糧難時代、食べる物もない子ども達に給食を。と言う事で全国に普及した学校給食。アメリカからの食糧援助であった。それで救済された者の一人として、感謝する所である。アメリカだって物が充分にあったわけではない。苦しい中世界に援助を続けた。今に成ると、アメリカの食糧戦略の一面が強調され、何か日本にとって悪い事をしたように言われているのは不思議だ。同級生の弟が、栄養失調で死んだ。それが現実だった。

その先生は学校教育の中で食と農を繋げると言われていたが、どうやっているのだろう。実際には出来ていないに違いない。そういう理想を持っていると言う所は素晴しいが、現実には今の学校の授業の中では絶望的に難しいだろう。その難しい中で、そうした声を上げていることは評価されるが、現実の体験に繋がらない所は残念な所。用意された食材がどのように作られたかをいくら説明した所で、自分で作らない限り、体験として子供を変えてゆくことはできない。では子供の農業体験はどうあるべきか。これが農の会の活動の一つの方向である。子供より畑や、田んぼが優先される。子供にもいくらかはやらせてあげるが、あくまで邪魔にならない範囲。子供には子供の仕事がある。子供が一人前に田植えに加われるようになる誇り。それまでは、子供らしく田んぼのまわりを走り回っていた方がいい。親の姿を見て、子供なりに、自分のやれる仕事を見つけて動く範囲で良い。

学校給食は早急に米飯にする必要がある。学校給食を日本に相応しい形に、変えられなかった理由がある。利権である。学校給食に付随して出来上がった、組織の膠着化である。学校給食会。即座に廃止すべきだ。食糧を安定的に学校に回すべき組織など、今の時代に別枠として必要はない。出来る限り、小さな市町村の単位の見える形の中で、学校給食をまかなうべきである。学校給食の食材は地域でまかなうべきである。地域でまかなえないところが、他地域と契約栽培をするなどはいいが、食糧の生産と給食は子ども達に見える形にしてゆく。子ども達は栽培している農家の畑を見学に行く。そこに入れる堆肥を子ども達が、給食残渣の生ごみで作るぐらいは出来るだろう。生きるためにはお腹がすく事。食べる物の作られる姿を知る事。作ることに協力すること。学校給食はこの時代の大きな教育の場面だ。

学級崩壊の一つの原因に化学物質がある。子どもの教室での立ち歩きや、引きこもりなどの異常行動が、化学物質を原因とする可能性があるとして、環境省は来年度、両親や子ども三十万人を対象とした調査に乗り出す。同様の問題は世界各地で指摘されており、米国と韓国とも連携し21年間にわたって原因物質を追究する。これが現実である。教師の質の低下、家庭教育のゆがみ、価値観の分裂。社会の方向の喪失。生きることの実感の喪失。様々な要因が複合的に作用して、学級は崩壊する。しかし出来る事から考えるとするなら、食べ物の見直しが最初である。普通の食べ物を食べる。これはとても大切である。病的に化学物質を怖れる必要はないが、せめてこれから育つ子ども達には、出来る限り化学物質の食糧からの摂取を避けさせる。学校給食ぐらい有機農産物にする。「未来の食卓」12月20日小田原市民会館で上映会がある。

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