酒匂の花火
酒匂の花火大会があった。上の畑からの花火の眺めがすこぶる良く、この地に越してきて10年恒例の花火である。去年から最小限の家があるので、そこから眺める事にした。去年は夫婦二人きりの花火だった。今年は、田んぼの仲間に呼びかけて、生ビール納涼会を計画した。23人が集まってくれた。良く入れたものだ。私は生ビールが好物で、最初から終わりまで、生ビールで大満足である。10リトルの樽を山聖さんにお願いした。これが生ビールの困る所で、ひとりではとても飲みきれない。山聖さんでは、全てをセットにして、運んでくれる。ジョッキまで持ってきてくれたのだから、ありがたい限りである。山聖さんは隣の部落の一番上だから、歩いても10分程度の所に在る。地域唯一のよろずやさん的商店である。全てを心得てくれているので、とても安心してお願いが出来る。10リットルをみんなで飲んだのだが。実はもう10リットル用意してあった。これは空けなければ、引き取ってくれると言うありがたい話になっていた。10リットル1本しか飲めなかった。それで、5.600円だった。近隣の方は利用してみたらどうだろう。
車で来る人が多くて、来てくれても飲む訳に行かない人が多くなる。乗り合わせてきて欲しいと言う事で、内9名が飲む事が出来た。9名で10リットルは少し物足りないが、もう10リットル空けたら飲めないと言う感じで、そこで止した。できれば、もう一度、ビール納涼会をやりたいものだ。やはり、6名は集まらないと10リットルは飲みきれないという計算だが。食べ物はいつも1品持ち寄りでやるのだが、これが、あまりに美味しい。みんな実に料理上手でそれはそれは、美味しい物であふれる。美味しすぎる食べ物と、生ビールに気を取られて、花火はいつの間にか終わっていたが、楽しい時間は花火が終わっても続いた。遠くの花火は、静かでもの哀しいものだが、山の端に寂しそうに、美しくぽーんと上がる。天子台の丁度脇に上がる。以前は天子台の縄文の家でみんなで花火を見たものだった。最後は飲みすぎて、多分へべれけで口が回らなかった。
花火は足柄平野一帯が、とても盛んで、山北の家からは、毎週どこかの花火が眼下に眺められた。遠く、箱根の花火から、松田の花火、酒匂の花火もそうだったが、まるで線香花火のように、ひそやかに上がる。それでも最近の花火は、文字が出たり、円盤であったり、おばQであったり、随分変り種が多いい。それでも、昔どおりの、しだれ柳銀冠や、菊先、平割。これが絵になる。花火の絵も何度か描いたが、なかなかいいものである。「行く夏を惜しむ、ものの哀れ」にならないように描くのがいい。あの形と色だけをさっぱりと描きたい。当然黒い夜空の色が描けないと始まらない。光の色、色はもちろん全て光ではあるが、反射して見える色と、光線を発している色とは違う。パソコンの色と、現実の色の違いのようなものである。虚を感じさせる色。瞬間に消えてゆく、形。
田んぼの仲間で集まった。年に何度か集まるのだが、これがとてもいい距離の関係だと思っている。べたべたでなく、さばさばした信頼関係が醸成されてきた。特に舟原田んぼのメンバーは、音楽をやる人が多い。みんなで、それぞれに演奏していて、ジャンベなどでヨッパライの私も音を出す。はずれてはいるのだけれど、やはり一つのハーモニーが生れる。一人では作れないものが、全体の中の位置を確認しながら、一人一人が自分の色を奏でる。良いも悪いも、みんなで上手く足されていって、全体性を形作る。独奏と、合奏の文化の違いだ。いきなりの事だが、「民主主義は合奏なのだ」。音楽というのは、そういう日本人の本当の姿、集団としての現在のあり方が、見えている。恥ずかしいとかいいながら、順番に歌わせたり、カラオケで人に聞かせたがる、独奏好きの日本人。ここを脱することが出来た頃、日本に民主主義の志が根づく。
昨日の自給作業:果樹の下の草刈2時間田んぼの草取り1時間 累計時間:10時間