小田原市議会を考える市民の会

   

「小田原市議会を考える市民の会」が出来た。麦の会が中心になって、市議会を考えてみようと言う会である。先日、マロニエで集まりがあり、24名が集まった。麦の会と言ってもよく知らなかったのだが、市会議員の賛否行動を公表を要求する署名活動を、先日行った団体である。麦の会と言う名前はとてもロマンテックで良いとおもうのだが、やはり農業団体だと思っていた。麦を作って、パンでも焼くという今風の集まりの会だと誤解してしまった。どちらかと言うと「一粒の麦」夏川豊彦著のキリスト教精神の方からきているのかもしれないが、麦となってたくましく社会を変えて行きたいと言う事のようだ。今回は呼びかけ人であって、あくまで新しく会を立ち上げようと、言う事だった。私も、前の署名でも協力はさせてもらった。その縁もあって今回声がかかった。

小田原議会はとても不思議な状態の場所である。その理由は、小田原気質からとか色々言われるが、制度上の不備が原因ではないかと思っている。その紆余曲折で、例えば、象徴的に「議員の賛否は」公開しないという事になる。その理由が、ふるっている。「賛否だけが、一人歩きする。」と言う事らしい。しかし、議会と言うのは多数決で事を決めて、賛否だけが意味がある仕組みである。「賛否に到る詳細まで、明らかにならない限り、誤解が広がる。」市民はその為に、議員をお願いしているつもりだが。議員はそれを市民に伝えてゆく所までが、仕事ではないのだろうか。どうも本質論というより、何かへそを曲げた理由があるとしか思えない。鈴木市議に恫喝の手紙が送られたと言う事が、問題化して、委員会で読み上げる椿事に到った。それほどの内容ではなかったが。あえてそういう行動に出て、この陳情を否決したと言う事ではないか。訴訟するはずが、していないから、そうとでも想像するしかない。

何が鈴木議員を代表する市議会議員の方々を、怒らせてしまったたか。市民が我々を指図するとは、「何を生意気な」。こう言う気分ではないかと、馬鹿げてはいるが、空想する。市会議員が先生である、まだそんな気分的状態が続いているのではないか。小田原議会特有に歴史的に成立した、慣例的手法があるのではないか。その手順を踏んで進めば、まさか、賛否の公表を否決することはない。そう言う事ではないのか。しかし、賛否の公表は議会の問題の小さな事だ。行政と議会が議論をして、より内容を深めてゆくと言う、本来の討議するための議会が成立していない点が最も困る。奇妙奇天烈城下町ホールで明らかになったように、肝心な事はほとんど理解しないまま素通りしている。先日の傍聴した委員会では、広域のごみは小田原で焼却する。こう言う重大事が初めて出てきたのに、質問もなく素通りした。後で問題化したとき、賛否が明白なら困るというのはこう言う所にもある。

参加者の一人が、全県的な福祉関係の活動をしている方がいた。その方は、県内の全行政に陳情を出し、全部を回るのだそうだ。その結果、伊勢原市の議会がすばらしいと言われていた。議員が問題に対しよくよく勉強していると言うのだ。出てくる質問を聞いていれば、当事者だからすぐ分かると言われた。陳情の理由をきちっと陳情者に発言させてくれるのが、二宮町と逗子?だったか。県内では小田原は閉鎖的な議会だと言われていた。

あえて賛否の公開に反対された議員の名前を挙げて記憶にとどめておく。鈴木美伸・飯山茂雄・大村学・横田八郎・奥山孝二郎・小松久信・三廻部周雄・俵鋼太郎・武松忠・加藤仁司・志澤清・植田理都子・堀村逸郎・今村洋一・細田常夫・井原義雄・谷神久雄・相澤博の18名である。

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