1000万円の家の提案
あしがら農の会では定例会の後、ゲストスピーカーとして、関係者の誰かが直接農業と言う事で無く。日常行っている活動を話してもらうことが始まった。3月は自然素材の住宅を提案してきた、舟原田んぼの岩越氏が話をしてくれた。始めてお会いしたのは、大野山の山の中だった。一人で家を作っていた。そこに、CO2の測定管の取り付けをお願いしたのが、始まりだった。その後、色々の機会に出会うことになり、田んぼを一緒に始めた。左官の名人榎本氏と出会うことになり、方向が定まり、家作りのプロになってしまった。ともかく話がおもしろい。自然素材についての無尽蔵ともいえる、蓄積が溢れ出るように次から次へと出てくる。自然素材の安全神話のおかしさ。土という物のリスク。使える土。使えない土。水銀や、クロムの含有。
おもしろいのは、使えない土地という事が、神域になってゆく話。本来神主の家系の人だ。「風土より、水土ではないか。」水と土から農業の背景。左官であっても竹が見れる。良い竹には切り時があり、やはり竹林の土が重要。それはワラも同じで、田んぼの土壌によって腐りにくい、建築向きのワラがある。肥沃な土地での生産物は建築材料には向かない。里山の農地の意味。建設が地面から土から離れれたことで起きた、里山の衰退。林業の問題。林業家もやはり兼業農家が大半だったこと。日本の職人の姿は、半分職人、半分農業。兼業農家ではなかったか。季節労働者であった、日本の大工の話し。次から次への、今に至る、行き詰まりの流れが語られていた。「職人ももう一度、半農半工にもどろう。」建築を自分達の所に呼び戻そうという、熱い思いが伝わってきた。しかし、理想主義は生き難い。
農の会の有機農産物は、価格は少し高いのだろう。旬の農産物のそのときあるものが届けられるだけ。使う側に知恵がなければ使い切れない。その知恵が失われる中、糠付けが無くなり、保存食がなくなる。出来た惣菜を買って来る時代に、何とか時代に風穴を開けよう。次の時代はむしろ、伝統食ではないか。そう思ってやっている。その数倍も難しいのが、謂わば有機の家。そんな家は高価で、金持ち以外は造れない家。これをどうやって、お金を必要としない農の会の人が作れる家に出来るか。純粋な理想主義者が、建築業界と言うお金の渦巻く世界で、どう生きたのか。もう一度本気で農業をやって見たいと、語っていた。先ずは、梅の里田んぼで、やって見る事になっている。舟原田んぼでも、中心になってやってもらいたい。
1000万円住宅の提案。先ず一棟、実現したいものだ。全力で応援したい。その実現法こそ、とても重要だと思う。世間では出来ないと思われることを、何としても実現する。そこから突破口を開く。6×8メートルの床土間の家らしい。もう設計図も引いてあった。作り出してゆく経過こそ大切だと思う。どう家作りを自分達の手に取り戻すか。農の会では、千田さんが大工さんと協力して、家作りをした。私も最小限の家を作っている。しかし、自分が出来ること。又その作業レベルやペースは、職人とはまるで違う。上手くコラボレーションするには、役割の分担を職人も知らなければならないし、また、建て主も知らなければならない。口には直接出さないが、たぶん両者にもどかしい、言いがたい所が山ほどある。この辺が、人間的レベルで配慮される必要がある。もう一つは講の実現にある。家作りは地域の仕事であった。家は個人だけのものでもなかった。どうやって地域社会が失われた中で、講の再現が在り得るか。課題はいくつもある。