味噌作り

      2016/04/05

昨日はいよいよ大豆の仕込を行った。大豆の種を7月7日に蒔いてから、半年で味噌の仕込みになる。10回目の味噌作りと言う事にした。みんな名前を胸につける。そこに何回の味噌作りかの回数をつけて、初めての人が教わりやすいようにしてある。子ども達を入れて、100名ぐらい集まっていたようだ。10回目にして、最高の天気だった。南には大島、利島、新島までとくっきりとならなんだ。西には真っ白に雪を戴いた、富士山が神々しいまでに鮮やかに、鎮座していた。小宮農園の冬の素晴しい景観は、足柄平野でいちばん雄大な景色であろう。古く古代人がこの場所に暮した気持ちが良く判る。きっと昨日のように焚き火の煙が、いくつもたなびいていたのだろう。味噌はいつの頃から作ったのだろうか。遣唐使がその製法を持ち帰ったと言われているから、奈良時代にはすでに関東に伝わっただろうか。

味噌は日本独自に発達した。何百年もかけて、各地方に少しづつ異なる。この頃合いがなかなか面白い、きっとその過程では、当時の伝統食とぶつかりながら、変化を加え定着する。味噌を作らない家はなかった。足柄地域には、塩きり麹を一年寝かして、その麹で漬け込み、熟成に時間をあまりかけないという味噌作りがある。(開成の中野さんから伺った事)。毎年恒例の手前味噌較べ。30ほど味噌が並んだが、これが30通りの味になる。そしてどれが美味しいかと成ると、みんなの好むものは、5通りになった。仕込みの古い、3年物がおいしいと言う人。当然1年物がいいという人。頃合いの2年物がいいと言う人。玄米味噌が一番おいしいと言う人。大体に、自分の手前味噌が一番いいという人が多数。同じにならないところが、味噌のすばらしい所だ。同じ豆を使い。同じように作っても、同じにはならない。自分の良しと言う所を、さぐって進めることが出来る。

まさにこういうの集まりが、農の会のお祭りなのだろう。こんな楽しい集まりがあるから、家で1人で味噌作りをやろうなどと思ったことがない。昨日は3カ月になった福太郎君も参加してくれた。会うたびに、成長している。次に渡してゆくものが、見える形で活動ができると言う事には、深い喜びがある。これも好例の「味噌料理逸品持ち寄り』では五平餅を持っていった。胡桃味噌である。醤油と味噌と黒砂糖、をひと煮えさせて、適度に摺った胡桃を入れる。そこに松の実を加える。最後に粘度を醤油で整える。お餅は舟原のアキニシキを固めに炊いて、半搗きにする。3センチ程度に丸めて、真ん中を押さえてつぶす。それをフライパンで焦げ目が付くまで焼く。これが家でやる前工程。50個の準備で1時間。予定では、餅を櫛に刺し、胡桃味噌をぬって、炭であぶっえ焼く予定。実際は網で焼く。なかなか美味しい物が出来た。この五平餅のレシピは真鶴の料理研究家の中村さんからのもの。

去年仕込んだ醤油。これのお披露目もした。一応醤油であると言う評価は得た。醤油は昨年の仕込が始めての事で、一応出来れば大満足。実は先ず味見と言う事で、刺身を食べてみた。それが案外にいい味だった。10ヶ月目位から急速に塩っぽさが消えてきた。これは味噌もそうで、塩のきつい味が消える時期がある。塩水だったものが、ある日醤油になる。この変わり目が熟成と言う事だろう。微生物の力としか言い様がない。これだって、塩水の時が好きだと言う人も居るはずで、何が良いというものがないところが素晴しい。私はもう一年寝かして、熟成を進めて見る予定。味は文化の大きな要素だと思う。塩を専売にして、工場生産にして。塩田を潰して行った。大切な文化を台無しにした、暴挙は肝に銘じておく必要がある。醤油も家庭では作らなくなった。農の会の暮らしほど、豊かな暮らしはないと思う。私が食べているものは、ただのものばかりだが、どんなにお金を払ったとしても食べることができない、美味である。

昨日の自給作業:味噌の仕込み。麹作りも入れて。8時間。

 - あしがら農の会, 味噌