久野里地里山勉強会
勉強会の開催にだいぶ間があいたが、20日の晩、久し振りに開催された。参加者の90%が行政の怠慢を怒っていた。行政の仕組みの上で問題点は継続と言う事だろう。何らかの理由で担当が替わる。新しい担当は状況が丸で飲み込めていない。これは個人の責任と言うより、組織の問題であろう。だから、ルネッサンス担当から、農政に変わるときに、くれぐれもそうしたことが起きないように、確認をした。所が、予測どおり何も理解していなかった。その状況に唖然するとともに、怒りが爆発した。もうかかわりたくないと言う声も出た。今まで熱心だった何人かの人が、欠席した。こう成ると思ったので、3回農政課の担当に、7月から伸びている状況だけでも、皆さんに連絡して欲しいとお願いしていた。所が、それもついに無かった。どうしてそうなるか不思議でならないのだが、見えない理由でもあったのだろうか。例えば、農政課が引き受けたくない理由とか。ルネッサンス課の閉鎖の不満とか。
それにしても、よかったのは参加されていた方々は、まだ気持ちが散策道の整備に協力してくれる方向だったことだ。去年は坊所の道路際の覆いかぶさってしまった、樹木の伐採が行われた。これを実際にしてくれた、坊所の人達にしてみれば、許しがたい所があっただろう。しかし、道際が清々してなかなかいい。ちょっと田んぼが丸見えに成った所が、耕作する者としては辛い所があるが、見え隠れぐらいが丁度良いか。私はこの竹薮に火を移して、消防の出動をお願いしたことがあるので、ここに関して偉そうなことは全く言えない。今年は、協議会設立に向けて、地域の体制を整えて行くことになる。散策道の整備を事業として行いながら、これからの体制を整える必要がある。みんなの気持ちを揃えるためにも、こうした実際の活動を行うことは重要だと思う。ここに、他の参加者もきっと加わってくれると思う。そうなれば、今後の活動や、組織の有り方も定まってくるに違いない。
反省として、行政任せにしていた点がまずかった。地元ではお二人の方が、ルートの開拓から古老への聞き取りなど、実際を進めてくれていた。森林組合とも、話し合いを持っていた。当然森林組合に出ている人もあるのだから、当然そうなるだろう。歯がゆかったに違いない。自分たちが予定を進めれば、とうに進んでいた。行政との足並みを考えて、控えておられたようだ。無理に進めておかしくなる場合も確かにある。実際の散策道作りでは、出来る限り手伝わしてもらいたいと思う。ではこの散策道が久野里地里山の中でどのように位置づけられるか。まず、小田原の良さの再発見。小田原の山の美しさは意外に、認識されていない。現在このルートでの登山者もほとんどいない。久野川の遡行をする人、あるいは山女釣りの人が、たまにいるぐらいだろう。このルートで明星岳に登ると、眼下に足柄平野が開ける。この地域の全貌が見渡せる。その素晴しい地勢を深く認識できる。小田原に住む者は一度は登ると気持ちが違ってくるだろう。きっとそんな道に成ると思う。
いよいよ、協議会設立だ。協議会が設立されれば、地域中心の活動になって行くのだろう。協議会は議決機関のようなものに成るらしい。実際の活動は部会のような、例えば、あしがら農の会の田んぼ部会。と言うのがあって、そこで新しい田んぼを設立する場合。協議会から里地里山としての活動である。と認められれば、行政からの資金の支援を受ける。こんな形になるようだ。構成で中立的、里地里山の意味を充分に認識していなければならない。又地域での信頼を得られる人材で構成されなくてはならないだろう。又、地域でのバランスの取れた、人的配分も必要になる。顧問のような形でしかるべき方をお願いすると言うのもあるだろう。私としては、下働き的な連絡とか、事務的な役割と成るのだろうか。この仕事はこれからの中心に位置づけるような仕事だと思う。出来うる限りの努力をしてゆきたい。
昨日の自給作業:田んぼの秋起こし3時間種蒔き1時間 累計時間:36時間