連帯経済

   

北村洋子氏の講演会がなりわい交流館であった。「グローバル経済に対抗する市民の行動原理とは」このテーマ設定が興味深くて出てみた。「連帯経済」と言う言葉が出てきた。ちょっと分かりにくい言葉で、普及しない言葉だろう。内容と言葉のもつ意味に、ずれがあるようだ。北村氏の講演は、連帯経済の話と言う事であったが、主に、経済全般の説明と言う事だった。今更、世界経済の基礎を勉強をするというのは、勉強は嫌いではないが、退屈した。市民の行動原理については、特に話が無かったんで、どう言うやりとりで企画されたものか、不思議というか、杜撰。「経済は生き物だ」と思っている。この社会に生きている。この暮している現実と繋がりながら、説明をもらえないと、生きた経済の生態は捉えられない。気に成っていたので、「石油が値上がりしていくと世界の経済はどうなるのでしょうか。」と質問した。回答として又、何故石油が値上がりするかの解説が続いた。世界経済への影響には全く触れてくれなかった。

「連帯経済」ここに連帯経済に関する解説がある。どうも連帯経済は新自由主義経済と呼ばれるグローバリズム経済に、取って代わるような全体的な経済構造という訳ではないようだ。私は、グローバリズムによって空中分解しそうな、世界経済の不時着地点として、こうした民衆の中から、ゆるく繋がりながら、生き抜こうというマクロ的な経済システムが誕生し始めている。と考えている。止むおえず、耐えかねて、自然発生的なものとして、無数に誕生してきている。そうした、小さな、それぞれの暮らしの救済の形の、連携をとって、グローバル化して行く経済の中で、生き延びようという発想なのではないか。世界経済という資本の命ずる利潤を目的として、動いているものに対して、対等に対峙し、対するものとして考える事が、そもそも無理である。それなら、グローバル経済が崩壊するときに、同時に崩壊するだろう。そう言う事じゃない、つもり。は分かってはいるが、何か変。

あしがら農の会は、小さな緩々のネットワークを通して、在り得ないような次の形を、模索している。連携の中で自分の暮らしを立てようとしている。連帯というような、強いルールではなく、何処までもゆるやかに、曖昧に。今の時代、心あるものは、一般的ではない。角がある。連帯は下手なのだ。ここが良くある、一人の新規就農と違う所だ。似た組織が、必要に迫られて、無数に現われている。ここにだって大いに、石油の高騰は影響する。食糧危機は直結する。食料のグローバル化も、WTOの交渉も直接的に影響している。これらの刻々変化し、生きている、いわゆる経済の姿を捕まえておかない事には、どんなに小さくたって生き抜けない。グローバル経済は危機を迎えている。この危機は人類の生存を脅かすような危機だ。何故、みんなのんびりしていられるのか、不思議でならないのだ。石油が、倍になることはその始まり。この結果何が起きるのか。このことの読みが頭を離れた事がない。何故倍になるかの諸説など、どうでもいい。グローバル経済の展望。WTOの交渉にどう影響するのか。日本の企業は何処の国の企業より、危機に直面しているはずだ。

このグローバル経済の崩壊は、当然の成り行きであり、遅かれ早かれ来ることだ。そのときにどのように、不時着地点を見つけられるのか。そのシナリオをいつも描いていなければならない。そこに連帯経済と名付けようとしている、庶民の共同救済組織が、どう機能するか。既に救済活動は始まっている。そう考えた方がいい。石油が利用できない農業をイメージする。そのときに、何が、どんな技術が有効となるか。全体を考えれば、原子力と、自然エネルギーの対決が起こる。食べるものが無くても原子力を使わないで我慢できるか。「柏崎では原子力発電所再開を望む」アンケート結果が出たと新聞は勇んでいる。イメージ力の欠落。食べるものを自分で作れる方法の提示。これが私の役割だと思って、早急にやりたい。それしかない。

 - Peace Cafe