鍬土佐豊国
平鍬を購入した。12600円した。土佐、トヨクニのものだ。まだ使ってはいないので、使い勝手はまたの機会となるが、本物のお百姓さんの鍬が欲しかった。見栄とか、伊達とか、言うようなものだが、長い間、欲しいと思い込んでいた。ずーとシャベルでやっていた。恥ずかしながら、鍬がちゃんとは使えなかった。ひとつは土が出来ていない。もうひとつには腕が出来ていない。土が良くなってくると鍬のありがたさがだんだんわかってきた。土が良いという状態も、正直草だらけでは、あまり見えてこない。草がない状態で、土をうなうと、土が思っていたより、動かし易い。もちろんホームセンターの一番安い、1800円くらいの鍬でも、そういう感じがしたのだ。弘法なら筆は選ばない。所が、素人には、いい道具が必要。これは絵でも同じことで、上手くなれば、どんな筆でも描いてしまうが、下手な人ほど、いい筆を使わなければ、絵にならない。私は下手だから、日本で一番いい筆で描いている。
鍬も同じで、いい鍬で耕したら、畝たてをしたら、随分感じよくできるだろうと言う事が、少し見えた。そうしたら、いい鍬がいよいよ欲しくなった。小田原で一番いい鍬があるといわれていたお店にいった。見せていただいた。16000円と。15000円と。後様々。所が重い。2、2キロ以上ある。こんな重い鍬ではどうにもならない。と思ってつい「もう少し軽いのはないですか。」言ってしまった。そのときのお店の人の哀れむような、さげすむような。「これは本当のお百姓さんの使う、プロ使用ですから」言われるとは思っていた言葉がそのまま出た。素人ほど道具に凝るのだ。筆と違って、凝ろうにもこう重くては、もって歩くのさえ難儀だ。じろじろ見ながら、体力まで云々されてしまい、伊達にも買う事も出来ずに、すごすご引き下がった。
こういうときネットはいい。姿が見えないから、プロ仕様を素人が買おうとしても、大丈夫だ。そこで、アレコレ調べていると。何か、名刀のような、土佐豊国というところがでてきた。何と名前まで入れてくれるという。そんなお百姓さんはいない。たぶん全国に散らばる、団塊の定年帰農者、伊達で持ちたい人が対象なのだろう。いい狙いだ。重くない。1,650グラム。考えられている。農家の平均年齢が、65を越えた時代だ。定年帰農でも文字通り若手だ。しゃくう長さも、短い。刃先の切れ味は、良さそうだ。手入れさえ怠らなければ、たぶん一生モンだ。使用頻度はきわめて低いのだ。たぶん昔の農家が使い古して、もう捨てるかというぐらいの感じだ。そんな小ぶりのものが、子供年寄り用だった。畑に出る前には、いつも研いでいた。今度はステンじゃないのでせめて、油を差しておかないと。
実は下の畑は、石がない。これもいい鍬が欲しくなった理由だ。昔はあったのかもしれないが。長年の耕作の間に、石がすっかり取り除かれたのだろう。長い間畑だったことがわかる。江戸時代始めに住み始めた事は判っているそうだから、400年は畑として使われているところだ。歴史ある大切な畑が、放棄されてゆく。寂しい気持ちを、残したまま荒れ地に戻ってゆく。この豊国の名鍬で、動ける間は耕してゆこうと思う。私の家は土佐から出てきたらしい。そうだとするともしかしたら、土佐で、豊国の鍬を使ったかもしれない。もう少し重いのを使ったかな。土佐打刃物の歴史は、秀吉小田原攻めの際、長宗我部が連れて帰った刀鍛冶が、その元らしい。と言う事は、今縁あって戻った、この鍬も懐かしいかもしれない。