小田原の農業とジョイファーム

   

小田原の農業は傾斜地農業だ。ジョイファームの長谷川さんはいつもそう言われる。長谷川さんは「小田原の農業」が特別に好きで、何とか「小田原の農業」の永続を夢見ている。「小田原の農業」が継続されるなら、有機農業だっていい。こういう感じで、有機農業を始めたのだと思う。先日の、県の有機農業の聞き取り調査の集まりには、県の予定では、専業の農業者の有機グループは常日頃、行政とは連絡がある。農の会や、その他の今まで、行政とのつながりの薄い団体から、今回は話を聞く機会にしたい、とそう言う事だった。変な話なのだが、実にその感じは理解しやすかった。私だって普通の農家の積もりだし、有機ネットの相原さんなどは、お父さんの代から有機農業をされてきた、専業農家だ。何処がジョイファームなどと違うのか。小田原の自然農法グループも、私たちとは別扱いだった。そういう理屈はあるが、県の担当者がどこかで線を引いた感じはわかる。

何処で線を引くかと言えば、業として参入した所謂普通の農業者と、有機農業原理主義者との線引き、と考えるしかない。原理主義、理想主義、完全主義、今時はやらない、お金やお上の権威で動かせない、手に負えない連中と言う感じだろうか。しかし、実際の所あしがら農の会はごくごく普通の農業者だと思う。農業が好きだと言う点が少し強いだけだ。一般農業者とはすこし違うかもしれないが。特別のこだわる農業者は居ない。原理主義者と言う意味では、この時代に今までの農業の形を死守している、普通の農業者の方が、よほど原理主義的だと感じる。経営とか、好きだとか、わかりやすい理由はないが、今までの農地の管理をともかくやる。ところが、長谷川さんのすごい所は、可能性がるなら、有機農業だって取り組もうじゃないか。こうやって「小田原の農業」の可能性を探ってきた。

その長谷川さんが、何故か有機ネットの一員として、その席に見えた。県としては断る訳にも行かないし、戸惑いがあったと思う。長谷川さんは早く協議会の設立をしたいといわれていた。私も同感なので動き出さなければ成らない。行政も含めた協議会と考えていたが、待っていたのでは始まらない。小田原の農業の可能性は傾斜地農業だ。長谷川さんの持論だが、含蓄が深い。今山に見えているところも、かつてはほとんどが、農地だった。私の住む舟原も、現在は杉檜の人工林ばかりだが、その大半が、農地だった。傾斜地を生かす農業こそ、小田原の可能性だ。傾斜地の素晴しい事は、先ず景観。海や、足柄平野の広がりが、農地から一望できる。この景観を生かした農業こそ、小田原のこれからの農業だと思う。

それは、観光的農業であり、市民的農業であろう。その合併方式が広がってゆくのは、社会の方向だと思う。関東一の景観を財産としながら、何故今まで、その有利さが生かされないのか。それは法的な規制が一番。又、行政サイドから言えば、滅び行く生産性のない、農業分野に予算をさけなかったと言う事もあろう。失敗はしたが、工業団地にする、あるいは住宅地化する方が、可能性が在るように考えたのも普通の感覚だろう。所が、状況が一転している。工場や住宅はもう増えない。日本の社会が転換期にある。次は見えないが、今のままでは、駄目だと言う事は、誰の目にも判る様になって来た。子供に農業を継がせようという人が、小田原にも必ず現われる。そして、長谷川さんのような、次を見ている農業者が、時代の要になる。それが、迷走日本の不時着地点。

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